京都市について知る人にとって、まず行政区がわかると理解が早いわけですが、どんな区があるかみなさんご存じでしょうか?住所もとてもややこしいですけど、その前に区がわからないと困ってしまいますよね。
京都のややこしい住所の解説についてはこちら↓
なので、京都を知るにはまず区から覚えるのが一番だと思います。長年住んでいる人も、ここで改めて基礎知識の再確認をしてみましょう。京都以外のお友達にうまく説明できますよ♪
また、区の始まりは千年の昔と大きく関わっており、行政区を知らないと平安京の成り立ちもわからないため、京都を知りたい人はここをまず押さえておいてほしいですね。
今回は区の名前と配置を一発で覚えられるような図を入れてみました。とても簡単な表示なので、住みはじめた人・観光で来る人も覚えておくととても便利です。わかってそうで知らない京都の土地の名前、一番基本的なことなのでこの際是非覚えてみてください♪
よって今回は
・京都に興味のある方
・京都に住みたい方
・京都に住んでいる方(特に最近引っ越してきた方)
・京都に観光で来られる方
に読んでいただけると嬉しいです。
これを知っていないと京都の話はできない。そのくらい基本的でかつ重要な内容です。
では始めましょう♪
1.京都の行政区についての基礎知識
① 行政区の数
行政区は京都には全部で11あります。
北区・上京区・中京区・下京区・南区
右京区・西京区
左京区・東山区
山科区・伏見区
上の並びは区の配置により分けているのですが、文字だけではわかりにくいので、次に図示して説明しますね。
② 区の配置 簡単な覚え方
京都市の区の配置は基本とてもわかりやすいです。なので一度で覚えてしまいましょう。例えば市の中心にある「上京区・中京区・下京区」はほぼ同じ大きさで北から順番通りに並んでいます。住んでいる人にも京都に観光で来る人にもわかりやすいネーミングと言えるでしょう。

たしかに「上・中・下」と並んでるから、大体の位置はわかるよね。

おまけに「北・南・右・左」もあるしなぁ^^
どんなふうに並んでいるか、区を四角で表してみると…

上京区・中京区・下京区が中心に縦に並び、その上と下に北区と南区があります。東の端は鴨川、西の端は大体ですが西大路通あたりです(北区はあまり当てはまってないかも)。
その右と左に右京区と左京区。ただし気を付けたいのは、右と左は北側から見た位置となっていること。
これは天皇が中国で言われた「君子南面す」という配置から、北側に南を向いて座るきまりになっているため、右と左が逆になっています。
なので、
上中下の上に北、下に南、右に左、左に右
右の下に西
左の下に東山と山科
一番下に伏見
を置けば完成です!

私も書いてみて、初めて伏見区が横長なんに気が付いたわ!(遅すぎ)
細かく言うと微妙に形が違うので、位置関係だけ見ていただければと思います。手作りで形がいびつなのはお許しをm(_ _)m
手前味噌ですが、これ、小学生のお子さんに京都市の構成を教えるのに良いと思うんです♪お子さんだけでなく大人でも使えます~ 是非使ってみてくださいね^^

私、このやり方で都道府県の位置を覚えたんえ~
正確な形はこちらで → 京都市のあらまし
③ 区ができた順番

これらの区は、京都市が生まれた時にババッと配置したのかな?

ううん、最初にできたんは、上京区と下京区の2つだけなんえ。
そう、上京区・下京区の周りはまだ村で、多くは田畑でした。そこからどのように増えて行ったのか表にしてみると…
年 | 区の誕生 |
---|---|
明治12年 | 上京区と下京区が誕生。 |
昭和4年 | 上京区・中京区を分合して左京区・中京区・東山区が誕生。 |
昭和6年 | 花園村他を編入して右京区とする。 伏見市他を編入して伏見区とする。 |
昭和30年 | 上京区から分区して北区が、下京区から分区して南区が誕生。 |
昭和51年 | 東山区から分区して山科区が、右京区から分区して西京区が誕生。 |
上で「最初にできたんは、上京区と下京区だけ」と言ってますが、それを統括する京都市が生まれたのはちょっと不思議な時期だったんですよ♪
2.京都市はいつできた?
では、京都市はいつできたのでしょう?
① 京都市は区ができてからできた?!
京都市は上京区と下京区ができた10年後、明治22年にこの2つの区をまとめる形で生まれました。なんと上京区と下京区のほうが京都市より歴史が古いのです。
京都市は明治22年に生まれましたが、国家に重要な3大都市(東京市・大阪市・京都市)として市政特例が敷かれ、明治31年9月までは府知事が市長を兼務していました。なので、実質的には明治31年10月1日から京都市が生まれたと言ってよいかもしれません。
② 京都市ができてから生まれた区はくっついたり離れたり
1)昭和になってからの発展
上の表でわかるように、明治維新に京都市になってから長らく上京区と下京区しかありませんでした。次の区が生まれたのは京都市誕生から40年後です。昭和に入った頃からですね。区がふくらんで分区したり、区同士少しずつ足しあって作ったり、市外の村をくっつけて区にしたり、新しい区が次々と生まれて行きました。
2)少し違っていた伏見区の生まれ方
ただ、伏見区の成り立ちは他とは少し違っていました。まず明治12年、伏見区は上京区と下京区と同時にできています。ところが2年後には早くも消失してしまいました。そして明治22年、京都市ができたときに町村制の施行により伏見町という形で再び生まれています。このころは区分けの制度がコロコロ変わっていて、ややこしい時期だったようですね。

まだ京都市も小さかったし、伏見とも随分離れてたしやろなぁ。
昭和4年には伏見町が伏見市となったものの、わずか2年で京都市に併合されてなくなってしまいます。しかし伏見は昔から京都とは少し離れたところで栄えた地であり、「伏見」という名前の存在感は大きかったのでした。
伏見は古くは平安時代、藤原氏の別荘が立ち並んでいた地であり、豊臣秀吉が作った伏見城の城下町で家臣たちの屋敷もありました。また銘酒の一大産地でもあり続けています。そういったことから、今も「伏見は伏見」的な地域の独自性を保っていると言えるでしょう。

古うから住んでる人は京都市の中心部に出かける時に「京都に行ってくる」て言わはったそうえ。
2)最後にできた山科区と西京区
山科区は、昭和6年に東山区の区域に入る前は山科町と呼ばれ、昔から交通の要衝の地でした。こちらも古代から朝廷や貴族とのかかわりが深く、関ヶ原の戦い以降は皇室の料地となりました。御所を守る「山科郷士」と呼ばれた人たちの子孫は今も山科に住んでおられます。
このように山科区は京都市の中心部から山を挟んでいる立地もあり、伏見区と同じく1つの地域として独自の文化を持っていると言えます。

京都の中心部に行くときに、やっぱり山科の人からも「『京都に行く』って言うよ」て聞いたわ。
また西京区の読みは、当時はとても違和感がありました。「西京」というと、私の頭にまず最初に思い浮かぶのがこれ。

株式会社西京味噌さん、勝手に出してごめんなさい^^;こちらの白みそなんです。こちらは「さいきょうみそ」と読みますが、このころまでは「西京」と書いてあればまず「さいきょう」と読んでいました。西京高校も「さいきょうこうこう」ですしね。
それが「西京区」ができてからは、これを「にしきょうく」と読ませたんです。最初は違和感しかなかったですが、京都市がそう決めたので仕方なく慣れることにしました^^;
「西京味噌」というと、標準語的には一般名詞の「白みそ」を指すことが多いようですが、京都では多分そうは呼ばず「白みそ」と言いますし、「西京味噌」と言えば「株式会社西京味噌」さんのことを言うと思います。ただ、今は関東の方もたくさん住んでいるので、そのへんはあいまいになっているかもしれません~♪

一般には「京にんじん」て言うてる赤いにんじんを、京都では「金時にんじん」て言うてるみたいなもんかなぁ♪
昭和51年以降は新しい区はできていません。あ、市域は広がっていますよ。記憶に新しいのは平成17年4月1日に北桑田郡京北町が京都市に併合されたことですね。結構大きな町なので、森林活用面や税収面ではインパクトが大きかったかもしれませんw

維新の農民隊「山国隊」があったのもここ京北町(一部が元山国村)。今は時代祭に残ってるえ。
③上京区と下京区は区になる前からあった!
京都市ができる前から上京区と下京区があったのは説明しましたが、実は上京区と下京区は区になる前からちゃんと区割りがされ、「上(かみ)」「下(しも)」の認識がありました。それはなんと千年以上も前、平安京があったころからだったのです。
上京区と下京区も別々の2つの町のようなもので、それぞれ違う性格を持ち、長い間存在し続けてきました。しかしこの話、説明するとすっごく長くなるので、また別の記事で詳しく書くことにしますね♪
3.まとめ
・京都の行政区についての基礎知識
行政区の数は11個
区の配置の簡単な覚え方は、
上中下の上に北、下に南、右に左、左に右
右の下に西
左の下に東山と山科
一番下に伏見
区は上京区・下京区が一番早く生まれ、他は昭和になってからできました。
・京都市はいつできた?
京都市は上京区下京区ができてから生まれました。
京都市ができてから生まれた区はくっついたり離れたりして、昭和になってから増えて行きました。
その中でなりたちが少し違っていたのは伏見区でした。多くの変遷の後、京都市に併合されました。
最後に生まれたのは山科区と西京区でした。山科区は伏見区と同じく長い歴史があり、どちらも朝廷と深いかかわりを持ち、今も京都の中心部とは違う独自の文化を持っています。
西京区の読みは「にしきょう」区。西京味噌の「さいきょう」とは違うので注意!
上京区と下京区は区になる前から「上」と「下」の認識を持った町でした。そして平安時代からつながる町でもあります。長い話になるので別の記事で書く予定です。
京都市はだいぶ前に人口がピークを越えて、今は他都市と同じように人口は減り続けています。少子高齢化も進み、京都の町と同じく人も年季が入ってきています。特に中心部の人口減と高齢化は顕著で、なんとか若い人たちが増えてほしいなと心から願っています。

うちの町内でも、私より年下の人がホンマに少ないのが寂しいわ💦
そして、これを踏まえて、次にお話したいのが歴史のある上京区と下京区のお話。これがわかってこその深みのある話なので、しっかり覚えて置いてくださいね♪ では頑張って早く書きます~
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