ここもう何年も世界では、戦争や自然災害などいろんなことで不安定な動きがある今の時代。国内でも南海トラフ地震の危機が叫ばれていたり、怖い事件が起こったり、心配なことばかりです。

いつどんなことがあるかわからないから、なんとなく不安な気持ちで生活してるんだよね。

一寸先は闇、心配の種は尽きひんなぁ。

昔の人は、いったいどうやって安心して過ごそうとしてきたんだろうね。

そやなぁ…お祓い・お札・お祭とかの厄除けしかなかったやろなぁ。
今と比べて科学も医学も発達してなかった数百年前、人々にとってよすがとなるのは厄除けを神仏に祈るだけでした。それは日本中どこでもやっていたものもありますが、長年都だった京都発のものが多かったと思うんです。
そこで今回は京都人が普通にやってた厄除けから始まり、京都発がわかっているものや、おそらく京都しかやってないもの(しかもさらにローカルなもの)までご紹介してみたいと思います。
これを読むと
・京都でやっていて真似できる災厄除けの基本的なやり方を知り
・京都独特で、おそらく一部の人しか知らない厄除けがわかる
ので、京都ネタとして是非知っていただきたいです。
江戸時代の恐ろしい疫病・麻疹(はしか)と疱瘡(天然痘)の「治療法」と「おまじない」をこちらで解説しています!
今回厄除けに使うアイテムとしてご紹介するのは「人形」「幡」「傘」です。
では始めましょう♪
1.他の地方でも知る人が多いもの・人形ひとがた
① 人形ひとがたとは?どうやって厄除けするの?
「形代(かたしろ)」とも言いますが、京都では人形という言い方をしています。文字通り人の形をした紙に自分の厄を移して祓う、という厄除け法です。
日本国内でかなり広まっている習わしかと思いますが、京都では中~大きな神社でほぼ行っています。
② いつやるの?
それは、ほとんどの神社で行われる大祓(夏越の祓・年越しの祓)やお火焚きなどの時に行われています。
「お火焚き」って何?と思う方はこちらでどうぞ。
夏越の祓(6月30日)・年越しの祓(12月31日)は、半年・一年の終わりを締めくくるという意味でほぼ同様の神事が行われますが、茅の輪くぐりは夏越の祓しかありません(12月は茅が枯れてしまうので)。

茅の輪くぐりがしたいから6月の方がいいなぁ♪

あらまぁw、それやったらやすらい祭に踊り見に行く?人形もあるえ!
③ 神社って、どこでもいいの?
基本、人形の厄除けはやっているところならどこの神社でも受け付けてもらえます。なので京都以外の方でも厄除けができますね♪ しかし京都の住人は、地域によって決められた氏神さんに行って行うことが多いですね。
氏神さんによっては、そこの氏子区域に学区の組織を使って人形を配布するところもあり、地域に密着した厄除け方法と言えるかと思います。
④ 厄除けの仕方

では人形を使った厄除けの仕方をご紹介しましょう。
1)紙の袋から人形を取り出し、名前と年齢を書きます。
2)厄除けの気持ちをこめて、人形に息を3回吹きかけます。
3)所定のお祓い料を支払って、神社に納めます。
4)神事の時に火が焚かれ、そこで燃やし清められます。

神社によってちょっとずつ形が違うさかいに、いろいろ集めてみるのも面白いえ♪
人形についてはこちらでも書いてます♪
形からだけ見ると、なんだか安倍晴明が操っていた式神のようにも見えますね。安倍晴明もこのような形のものを使ってたんでしょうかね^^
2.幡はた(地蔵幡じぞうばた)による厄除け
① 幡(地蔵端)とは何?
2つ目は幡(地蔵幡)です。これはWeblio辞書には
六地蔵詣に使う五色の幡
とあります。ここに言う「六地蔵詣」とは、京都では「六地蔵巡り」と言われ、8月22,23日に京都とその周辺にある6つのお地蔵さんにお参りして厄除けをする風習です。お地蔵さんは6体あるので、実際は白も含めた6枚の幡となります。
この六地蔵とは、
大善寺(伏見六地蔵)
浄善寺(鳥羽地蔵)
地蔵寺(桂地蔵)
源光寺(常盤地蔵)
上善寺(鞍馬口地蔵)
徳林庵(山科地蔵)
です。
このうち源光寺・徳林庵は臨済宗、他の4カ寺は浄土宗ということで、これを見る限り、浄土宗ではお地蔵さんを祀ることが多いと考えられます。
この六地蔵をお参りして、それぞれ色をわけた(青・赤・紫・緑・黄色・白)6枚の幡を1枚ずつ集めていくのです。それをまとめて玄関に飾っておくと災厄から逃れると言われています。
後でご紹介する傘つながりのアカウントの方が六地蔵巡りに行かれているので、こちらで幡をご覧いただきましょうか♪
② 「六地蔵巡り」でなくてももらえる地域がある?
この「六地蔵巡り」の幡で厄除けができるわけですが、これはどこでも載っている情報で、結構みなさんご存じですよね。実は、今回のメインはこれではなくて、
六地蔵ではなく、地蔵盆でもこの幡がいただける地域がある
ということなのです♪
私が調べた限りですが、地蔵盆の時、上京区の一部・北区の一部でもらえるということがわかりました。上京区の一部では、六地蔵の幡の白を除いた5色の5枚物、右が上京区と北区の一部で赤と黄の2色・2枚物の幡となっています。


地蔵盆の前に、町内会で文房具屋さんに行って購入してきて、お地蔵さんやその他仏さんの名前をハンコ押しして使います。
この幡を地蔵盆でお供えをした家が「おさがり」としてもらいます。これを玄関に祇園祭の粽のように飾ると一年間厄払いができると言われています♪

京都の家の表は、いろんなものが貼ってあったりぶら下げてあったり賑やかえww
③ 上京区の一部に幡がある理由は?(考察)
上京区、と書きましたが、実は上京区全体ではありません。5色の幡が配布されるのは、上京区の西部で西陣の一部となっています。ここでは「幡」とか「人形」という風に言われています。
1)考察その1
では、なぜここだけなのか?文献にもどこにもなくて、実際のところよくわからないのですが、考えられることはあると思います。
ここからは私の考察です。
それは、このあたりには幡を法事によく使う浄土宗のお寺が多いからではないか、と。幡は施餓鬼幡と言われ、浄土宗でよく使われています。その仏事が風習に使われたのではないでしょうか。

これは近江八幡市のものですが、浄土宗の法事で、新仏さんにあげるご飯にこの幡を突き立てるそうです。
浄土宗では仏事だけでなく、お寺にも大きな幡が使われていることは良くあります。

そうや、昔は地蔵盆の数珠回ししてた時、お地蔵さんやのに「なんまんだーぶつ(南無阿弥陀仏)」て言うてたえ!
これは町内にお参りに来られるお寺さんが浄土宗が多いために、浄土宗の色が強く出ていたからではないでしょうか。

そう言えば、数珠繰りで有名な知恩寺も浄土宗だね!
そうですね♪ 知恩寺についてはいずれ詳しく書こうと思っています♪
それから、前出の六地蔵巡りも4カ寺は浄土宗でしたよね。だから、六地蔵巡りに幡が使われているのも自然な感じがします。
2)考察その2
浄土宗総本山の知恩院さんのサイトにも地蔵盆のことが書かれていますが、ここでは地蔵盆が行われる理由の1つに
当時の地蔵祭は、総距離35キロにも及ぶ道を歩く六地蔵巡りに巡拝できないお年寄りや子どものための行事でもあった。
とあります。
このことから、六地蔵巡りによって6枚の幡を集めることができない人たちのため、また町内の安全を守るために六地蔵の代わりに幡を作ったのではないか、とも私は考えています。
④ 北区の一部にある理由は??
もう一方の北区にあるほうですが、こちらも西陣の一部で、大徳寺周辺から南の上京区最北部あたりとなります。
こちらは先ほどのとは少し違い、幡は2枚で赤と黄色のみ、そして呼び方も「まんだら」と変わります。
まんだらというと真言宗や天台宗の「両界曼荼羅」がまず思い浮かびますが、浄土宗にも「当麻曼荼羅」など絵解きをするときに用いるものがあります。しかし残念ながら、こちらはなぜこのように呼ぶのか全くわからなかったので、また今後も調査継続したいと思います♪
3. 傘による厄除け
①やすらい祭の傘
1)傘が病除けになる理由は…
3つ目は「傘」による厄除けです。
この厄除け方法として一番有名なのは、やすらい祭ですが、ご存じですか?
やすらい祭は平安時代後期、疫病災害を鎮めるため疫神の宣託を得て創始されたものだそうです。やすらい祭と呼ばれるものがいくつか残っていて、最も有名なのが今宮神社のやすらい祭です。

始まってから現代まで途中で中断が有りながらも続けられてきたのは、どの時代にあっても疫病や災害が収まることがなかったからでしょう。
今宮神社のやすらい祭では、疫神を傘におびき寄せ、境内にある疫社に封じ込めやっつけてしまいます。そのためには疫神をうまく傘のところに連れて来ないといけないので、赤や黒の毛(赤熊・黒熊)を被った人が笛や鉦の音に合わせて派手に踊ります。
それを見た疫神は、「あれ、なんやろな~?」と興味を持って傘について行く、ということになるわけです^^
人が舞い踊るのに見とれてつい忘れてしまうのですが、これが大事。
傘の下に入ること!
疫神は傘の上に集まっているので、下にはいないのです。傘で防いでいるんですね♪ひらひらも付いて見にくいですし^^ それで、傘の下に入るとその年一年は病気にかからない、と言い伝えられているのです。
2)コロナ禍でも「できることをする」お祭をした
コロナ禍のころ、やすらい祭に限らず、普段疫病除けと言われるお祭は「役に立ってない」とか言われることもありましたよね。一番残念に思っておられたのは神社さんだったでしょう。
今宮神社さんも参列してくれる氏子さんのことを考えて、やすらい祭の行列をやめる決断をされました。もちろん他の神社と同じく神事は行われていたけれど、そこには氏子さんは参列できません。そこで、その中でも「できることをやる」と決められたようです。そこで、傘の下に入れるように祭のあとしばらくの間、境内に傘が置かれることになったのでした。
なので、傘の下に入ることもできたんですよ。神社さんはたくさんお詣りに来てほしいと思っておられたでしょうが、あの時のあの状況では宣伝するわけにもいかなかったですよね。
けれども、やすらい祭のことを心配した氏子さんたちは来られていたようです。お祭りは神事として行われるのですが、疫病は人を分断させてしまう力も持っています。そんな時、少しずつでも「できることをやる」ことで精神的なつながり・支えを維持していけるのがお祭りではないかなと、この時思いました^^

実はコロナの間も、お詣りの人の数はそれ以前とほとんど変わらへんかったらしいえ。

信仰する人たちはコロナに関係なくお詣りに来てたんだね。
②祇園祭にある傘は…
実は、傘を用いる疫病払いは祇園祭にもあります。そう、傘鉾の2つ、綾傘鉾と四条傘鉾ですね。
その中でも綾傘鉾は応仁の乱以前からあり、やすらい祭の花傘と同じように傘に入ると病気にかからないなどの厄除けになるそうです。

祇園祭の傘鉾は、やすらい祭の傘をもとにして作られてるて言われてるえ。
やすらいの花傘は厄除けの働きをするという赤い色をしていますが、祇園祭の傘鉾はさすが財力のあるお祭だけあって、垂りが美しい綴織や友禅で作られています!疫神も思わずフラフラっと引き寄せられるような美しさです♪


おまけににぎやかな棒振り囃子も演奏されてるし、人も厄神もwいっぱい集まるわなぁ💛
厄除けとは関係ないけれど、綾傘鉾の棒振り囃子はイケメン揃い💛
棒振り囃子について知りたい方はこちらに詳しく書いていますのでどうぞ♪
4.まとめ
・他の地方でも知る人が多いもの・人形
①人形とは、人の形をした紙に自分の厄を移して祓う、という厄除け法です。
② ほとんどの神社で行われる大祓(夏越の祓・年越しの祓)やお火焚きなどの時に行われています。
③ 京都の住人は自分の氏神様に行くことが多いですが、それ以外の人は人形でお祓いしてくれる神社ならどこでも大丈夫です。
④ 人形に息を3回吹きかけて自分の厄を移らせ、それを火で焚き上げることで清めます。
・幡(地蔵幡)による厄除け
① 幡(地蔵端)とは、六地蔵巡りに使う五色の幡のことです。実際はお地蔵さんは6体なので白をもう1色として6枚の幡となります。
② 「六地蔵巡り」でなくても幡をもらえる地域があって、京都市内では上京区の一部・北区の一部にあることがわかっています。
③ 上京区の一部に幡がある理由は(考察)、
その1 幡を法事によく使う浄土宗のお寺が多いから。
その2 六地蔵巡りができない人たちのため、また町内の安全を守るために幡を作った。
④ 北区の一部(北区の西陣地区)にある理由はよくわかりませんでした。今後要調査です。
・傘による厄除け
①やすらい祭の傘
1)傘が病除けになる理由は、傘の上部におびき寄せられた疫神は傘の下が見えないので、傘に入れば疫神に見つからないから、ではないかということ。
2)コロナ禍でも「できることをする」お祭をしたので、この期間中も傘に入ることはできました。
②祇園祭にある傘は、傘鉾として有名な綾傘鉾・四条傘鉾です。特に応仁の乱以前からある綾傘鉾は、美しい傘や棒振り囃子でも疫神を集めることができそうです。
さて今回は京都にまつわる厄除けのうち、他の地方にもあるもの(人形)、京都の一部だけにあるもの(幡)、京都のお祭りの中にあるもの(傘)をご紹介しました。
また実は、京都で昔行われていた「さらに興味深い疫病除け」がありまして…昔の治療法やとんでもなく変わったおまじないまで解説した記事を書きましたので、そちらも是非読んでみてください!
以上、他にない京都ネタとして楽しんでいただけたら嬉しいです。
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