祇園祭が終わり、8月に入るとお盆があったり大文字の送り火もありますが、京都ではまた別に旧暦の七夕も行われます。
京都の七夕長いよね~7月7日からずっとやってる感じ笑
新暦も旧暦もやってるさかいになぁ。京都の人、七夕好きなんかも笑
京都の七夕の時期についてはこちらをご覧くださいね。
旧暦といっても、正確に旧暦7月7日に行うわけではなく、大体月遅れの8月7日前後をめがけてのイベントが多いですが、中には8月全般にかけて行われるものもありますね。
で、今回お話したいのはこの七夕に昔お供えしていたお菓子についてです。「索餅」というのですが、今はほぼ消えてしまった「幻のお菓子」と言ってよいでしょう。
でも京都では、わずかのお店ですがこれを復活させて販売していますので、そちらもご紹介したいと思います。
今回はこれを読んで、また一つ京都通になっていただきましょう♪
1.「索餅」とは?
①平安時代以前からあるお菓子
奈良時代に中国よりもたらされ、平安時代には七夕に奉納されていたお菓子として記録に残っています。宮中でも七夕のお菓子として定められるようになったのは、以下のような天皇からのお達しがあったから、となっています。
正月十五日の七種粥、三月三日の桃花餅、五月五日の五色粽、七月七日の索麺、十月初亥の餅等、俗間に行なひ来たり、以て歳事と為す。自今以後、色毎に弁じ調へ、宜しく之を供奉すべし
「宇多天皇御記」寛平2(890)年2月30日条
一般の人たちがすでに行っていた節句の行事を宮中でも行うと決めたようです。普通考えてみると、宮中のが一般に流布しそうな気がして逆な感じですが、そういうこともあったんですね。
また、もともと七夕というのは、古代中国の
7月7日に亡くなった皇帝の子どもが鬼神となり疫病を流行らせていたが、子どもの好物だった麦餅を供えるとおさまった
という言い伝えが唐から日本へ伝わったものです。そのため、七夕に麦餅を供えるという行事も日本で行われるようになったのでしょう。
②索餅の形・材料は?
1)材料
平安時代の索餅は大内裏の中にある大膳職という役所が宮中で法会、儀式の後の宴会などで出した料理です。「延喜式」という記録の中に、索餅を出すのに必要な材料と量がこのように書かれていました。
索餅料。小麦粉一石五斗。米粉六斗。鹽(塩)五升得六百七十五稿…
「延喜式」33 大膳職下
割合を計算すると小麦粉:米粉が5:2の割合、塩が小麦粉の30分の1という計算になります*。
今のういろう系・お餅系のお菓子はほぼ米粉(うるち米=米粉・上新粉・団子粉、もち米=餅粉)ですから、かなりな小麦粉ベースの割合ですね。これは中国でいう索餅の「餅」とは、「小麦粉と米粉を合わせて作ったもの」という意味となるからです。小麦粉が多くなるとプルンプルンせずちょっと固めになりますね。
*その時により割合は少しずつ違ったようです。
2)形
「餅」といえば丸い形を思い浮かべそうですが、上記のように「餅」の意味が今とは違います。よって索餅は丸くなく、和名を「麦縄(むぎなわ)*」と言い、2本の細長い生地をねじねじに撚り合わせたものだったようです。
*『和名類聚抄』:「索餅」を「和名無木奈波」と書いている。
「ねじねじ」言うたら、亡くならはった中尾彬さんを思い出すわぁ♪
でもちょうどそんな感じ!
3)作り方・食べ方
「索餅」を調べてみると、中国の「麻花」にも似た長崎の「よりより」のような、油で揚げた唐菓子みたいなお菓子が出てくることが多いです。しかし「延喜式」の上記以外のところには、索餅を作る材料や道具として水や桶の記述があることから、茹でて作った可能性が大きいと思われます。(すみません、打って出てこない漢字が多すぎて資料「延喜式」の引用諦めました…)
古代の食事を研究した方も試されているのですが、こんな感じでしょうか*1。
A.②-1)の分量で小麦粉・米粉に塩を入れこねる。
B. 生地を伸ばし棒状に切る。
C. 切ったものをねじねじに撚っていく。
ただ、米粉が多いと切れやすく撚るのが難しかったようです。*2
このように形作り茹でたあとは、これも延喜式の記述にあるように醤*3・味醤や糖(水あめっぽい?)などで味付けをしたと思われます。
*1「日本古代食事典」永山久夫著
*2「たべもの起源事典」岡田哲編
*3 味噌や醤油のルーツとなる古代発酵調味料。
③索餅がのちに変化したと言われる2種の食べ物について
古代日本で七夕にお供えされたり食べられたりしていた索餅ですが、時代を経てすっかり姿を消してしまいました。索餅はどこかに形を残してはいないでしょうか?ひょっとしてこれが末裔かと言われているものを2種挙げてみました。
1)素麺
よく、索餅がそうめんとなって今に続くと言われています。索餅→索麺→素麺となった、小麦粉を細く伸ばした形がのちの素麺となった、という説です。
しかし実はこれには疑問を感じている方*が結構おられます。根拠となっているのがこんな記録です。
江戸時代初めの天皇の様子を女官が書き留めた「御湯殿上日記」には、このように書かれています。
夕かた御さかつき三こんまいる。そろ、さくへいも出る。――。女中にもそろ 出る。
「御湯殿上日記」延宝四年(1676年)七月七日 より
この日記によると、酒の肴にそろ(素麺)とさくへい(索餅)の2品が出ていたことになります。つまり素麺と索餅は別物だということですね。
よって、索餅がのちに素麺になった、という説はうのみにできない部分があるようです。
*「不可解な「索餅」の生い立ち ー通説とは全く逆な経緯をたどっていたー」江戸ソバリエルシック 小林尚人
2)ういろう
・しんこ
ういろうと言えば名古屋が有名ですが、「しんこ」と呼ばれるお菓子も大変よく似ています。
「類聚名物考」には以下のように書かれています。
索餅は今の素麺とは異なり、形は京にて云う白糸、美濃辺にてしんこという類なり、江戸にてよりみづといふ。細長くしてねじりたる物なり…
「類聚名物考」正徳二年(1712)山岡俊明
京都には今「白糸」というお菓子はありませんが、しんこは健在です。
まだ索餅はご紹介していませんが、たしかに形は似ています。
DNAもらっているな~という形なんですよ!
・水無月
また、京都には6月の末日、夏越の大祓に食べる水無月がういろう製となっています。
これが実は、今は三角形である水無月が室町時代あたりには「ねじ餅」というひねった形だった*らしく、索餅の形と大変よく似ています。よって、索餅の形が一時期ですが、水無月に受け継がれていた可能性はあるようです「しんこ」とも関係があるかもしれませんね。またこれは別記事で書いてみたいと思います。
夏越の大祓についてはこちらの記事をお読みください♪
*「和菓子」9号 虎屋・虎屋文庫編集
2.買えるお店2店の索餅を比べてみた。
このように今は七夕に見ることができなくなってしまった幻のお菓子「索餅」ですが、現在、索餅を復活させて販売している京菓子店が2店あります!
それは「塩芳軒」と「千本玉壽軒」。7月~8月の一定期間、予約すれば買うことができます。これは京都通の方でもほとんど知らないでしょうね!
さてどんなお菓子なのでしょうか?今回は2店ともで購入したので比べてみることにしました。
①比較ポイント
2店の索餅の形・大きさ・色・味の特徴・材料を比較しました。まず形を見てみましょう。
ほら~ねじねじやねぇ!撚った縄みたい!
1)形・大きさ・色
どちらも白と薄茶2本のねじり型で、大きさも同じく7.5 ㎝ほど、太さは材料の違いでふんわり度が違うせいか、ほんの少し塩芳軒製のほうがスマートに見えます。
千本玉壽軒製のほうが茶色がやや薄いとはいえ、ほぼ同じ印象です。
2)味
家族でいただいてみたのですが、結論から言って、それほど大きな違いはありませんでした。
ただあえて言うならば、千本玉壽軒製のほうがニッキの香りが強いような気がしました。
甘みは、私の感覚では塩芳軒製のほうが強いような気がしたのですが、家族の中には千本玉壽軒製のほうが甘いと言う者もいました。人により感じ方が変わるということは、味もそれほど大きな差がないということかもしれません。
でも、どちらも素朴ながらも大変上品で美味しく、お茶会にも使えるお菓子だと思いました。七夕に供えられていたものだとすると、季節感も十分感じられますよね!
3)材料
昔の索餅は小麦粉と米粉両方を使い、それも小麦粉の方が多かったのですが、2店の索餅はういろう地でふわっとしています。ういろう地の主原料はもち米やうるち米の米粉、小麦粉などで、その配合はそれぞれのお店で違うと思いますが、それほどの差はないように思います。
ただ細かく言うと、塩芳軒製の方が弾力があり、千本玉壽軒製は粘りがありふんわりとした、といった感じでしょうか。索餅同士をくっつけて置いておくと、千本玉壽軒製のほうがくっつきやすく粘りがありました。
また塩芳軒製は1こずつプラスチックフィルムでくるんであるので非常に取り分けしやすかったです。
②購入の方法
店頭には作り置きされてないので、購入される場合は必ず電話で予約をしてください(電話番号は3.アクセスにあり)。当日は無理かもしれないので、2,3日前には予約した方がよいかと思います。
また、索餅を作っている期間はお店により違うかもしれないので、新暦の七夕前に聞いておくとよいでしょう。
筆者はどちらも2個のみの予約でしたが、どちらも快く作っていただけました。お店の状況もありますので、どちらにしても希望の個数で作ってもらえるか聞いてみてくださいね!
3.アクセス
どちらも上京区内の西陣と呼ばれる地域にある京菓子店です。比較的近いので、両方予約して食べ比べてみるのもいいですね。
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・塩芳軒
住所 | 〒602-8235 京都市上京区黒門通中立売上ル飛騨殿町180 |
電話番号 | 075-441-0803 |
営業時間 | 9:00~17:30 |
定休日 | 日曜・祝日・月1回水曜日(不定) |
・千本玉壽軒
住所 | 〒602-8474 京都市上京区千本通今出川上ル上善寺町96 |
電話番号 | 075-461-0796 |
営業時間 | 8:30~17:00 |
定休日 | 水曜日 |
4.まとめ
・「索餅」とは?
平安時代以前からあるお菓子で、七夕にお供えしたり一般によく食べられたりしたものでした。
索餅は小麦粉と餅粉を合わせ細長く切って縄のように撚って作られました。形作られた索餅は茹でたり蒸したりして、あとは醤などの調味料を付けて食べられました。
索餅がのちに変化したと言われる2種の食べ物は、素麺やういろう系のお菓子が言われています。
ただ、素麺は昔の記録を見ると、必ずしも索餅と同じものだったかは疑問が残るところです。
また、ういろう系ではしんこや水無月がとても近いかと思われます。
・「索餅」が買えるお店2店
現在購入できる塩芳軒と千本玉壽軒の索餅を比べてみました。
形・大きさともほぼ同じ、色は塩芳軒製が少し色が濃いようです。
味は千本玉壽軒製のほうがニッキの香りが強いようです。甘さは人によってどちらかが甘く感じられるようで、ほぼ同じと考えても良いと思います。
材料もほぼ同じと思われますが、千本玉壽軒製のほうが少し柔らかく感じます。塩芳軒製は1個ずつフィルムに包まれているので、たくさん買う時は扱いやすいかと思われます。
また、購入は必ず電話で予約をしてください。購入できる期間は早めに確認、また欲しい日より最低2,3日前には予約してください。買える個数も確認してくださいね。
どちらにしても七夕のお茶会のお菓子にはピッタリですよ!旧暦の七夕は8月7日、そして京都では「京の七夕」は7月と8月いっぱいまで行われるので、8月でも十分いただけるお菓子です。是非一度食べていただきたいです!
「京の七夕」についてはこちらをどうぞ!
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