1.基本情報
著者名:「あや」といいます。
生まれてからずっと、京都市上京区の西陣に住んでいます。
西陣で作る西陣織は、平安時代の織部司の系譜を引く人々が作り出したものですが、その特徴の一つである「綾織」から名前を取りました。西陣育ちの私らしくて気に入ってます♪
2.ブログの運営目的
ブログの運営目的、それは
ー 京都について、私が知る限りの情報や知識を住民目線で伝えること ー
です。
京都で生まれ育ち、暮らしの文化がとても身近にあったのですが、そんな地元民が知る「京都の暮らし」や「ちょっとした生活の行事・習わし」の情報についてネットで調べようとしても、参考になるサイトがほとんどないことに気が付きました。
「寺社がどこにある、お祭がいつあって、どんな歴史がある」などの京都検定に出てくるような情報はたくさんあるのに、こういう情報はないんですよね。
なので、私はこんなことをお伝えするためにブログを書きたいと思いました。
まず「誰に」
京都が好きでもっと深く知りたい人、また京都に住んでいても昔の暮らし・行事・習わしを知らない人
そして「何を」
・今の京都の住民ですらほとんど知らない暮らしの習わし
・京都人の暮らし目線や、今是非楽しんでほしい、お寺や神社のお参りの仕方
・京都人が暮らしの中で楽しんでいる老舗や推しスポットの楽しみ方
・住んでいるからこそわかる、京都での生活のコツ・お得に暮らせるポイント
というようなことを伝えていきたいと思っています。
ただ、私が考えていることを京都の人すべてが同じように思っている、行っているわけではありません。「うちはうち、よそはよそ」なのです。習わしについても、ごく基本的なところだけは同じで、それぞれの家でやっていることは個性があります。その点はご了承いただきたいと思います。
3.私の家の歴史
私の家(母方)は宝永の大火(1708年)あたりには京都に住んでいたことがわかっています。父方の本家も江戸時代初め頃から西陣織を生業としていました。
①母方の歴史
私は母方の姓を継いでいるので、まず母方の歴史の方から簡単に説明します。
母方のわかっている限りの一番最初は、今京都御苑と言われている範囲内に住んでいました。とは言っても高貴な生まれ、とかそんなんではありません。昔は町家もあったのです。
「大火事で焼け出されて、引っ越しさせられた」ということが昔から伝わっていて、おそらく宝永の大火で火災に遭い、三条の鴨川の東に移転したと思われます。明治になるまでは両替屋と医者をしていました。
その時はお公家さんを相手としたお商売をしていたので、彼らの言葉や習わし事には影響を受けたようです。私が知る習わしの中でも御所に関わるものが少なからずあるのは、それが原因かと思います。
その後明治維新に西陣に来ました。なので西陣に来てまだ150年あまり。西陣では新参者ですね。
西陣に来てからは西陣織の仕事を始め、関東にも反物を卸す織元だったようです。その後西陣南西部に移り、戦後両親が結婚して10年くらいまでは西陣織を織っていたそうです。
②父方の歴史
父方のほうも簡単にお話しておきます。
父方は400年ほど前には西陣ではなく、応仁の乱で言う「東陣」のほうに住んでいたようです。本家は裏千家さんの北、本法寺の向かいあたりにあります。ここに住んでから、子孫はずっと西陣織に従事してきました。父は若いころから能装束を織っていたと言っていました。
4.私の経歴
私は一人っ子で、両親とは40~50才年が離れていました。家にいる時は親しかいませんから、親からは昔の話ばかり聞かされていました。
年中行事や習わし事も大変多く、そのような暮らしは友人に話すと必ずと言っていいほど驚かれました。お正月やお盆、その他の年中行事に行う習わし、お祭りに作る食事などなど…
そんな経験から、私の家でやっていることは時代錯誤的と言えるくらい「昔のまま」なのだということを、子どもの頃から痛感させられたものでした。
しかし大人になるにつれ、これは非常に大事な京都の文化だということに気が付いたのです。
小さい頃は同級生から違和感ある眼で見られたり、バカにされることすらあったけど、年を重ねるにつれ「今もやってるなんてすごいね」とか「それは残しておかないと」などと言われるようになりました。
大人になってからは大学図書館で働き、自分の家の歴史や習わし事などを調べるにはうってつけの環境で学ぶことができました。結婚後は主人の伝統工芸の仕事を手伝い、また地域の人たちを取材する機会にも恵まれ、ますます京都について発信したいと思うようになったのです。
5.具体的な発信方法とこのブログにいたるまで
①ブログや寄稿サイト
そこでまずはブログを書きながら、京都の暮らしの文化について発信し始めました。また、寄稿サイトは本名で書いています。こちらはまとめて本として出版してもらいました。あとに書いていますが、これはある時点で行き詰ってしまいました。
②イベント・コミュニティラジオで周知
2015年~2020年ごろまで、京都の暮らしを体験してもらういろいろなイベントを開催し、またローカルラジオでも2年ほど毎週京都の暮らしの文化についてお話をする機会をいただきました。
③今までの発信をやめて、このブログに至った理由
・「今までのブログはある時点で行き詰った」と書きましたが、それはあまりに雑多な内容を入れすぎていたからです。自分の家のプライベートな行事やよその人にはどうでもいい家族の記録などが多く、伝えたいことがぼけてしまったんです。これは自分がやりたいことではなかったな、と。
そこでそのようなものは排除し、また京都が好きな方が「読んでよかった」と思えるものだけを書こうと思ったわけです。
・またもう一つ、私が寄稿をしていたサイトは一度投稿してしまうと訂正することができず、寺社の祭礼行事等で変更された部分があってもアップデートできませんでした。それでは正確な情報が皆さんにお伝えすることができません。それなら自分のブログでやろう、と思いました。
・一方、イベントやコミュニティラジオでは、自分の経験や話すために作った記録を残すことができて、結果としてはやってよかったと思いました。そこではいろいろ調べて記録を残してきたので、それをもとにこのブログで発信していこうと思っています。
6.目標
いままで説明してきたことから、3つの目標を立てました。
①1つの行事でも、いろんな観点から細かく解説したサイトとなる。
お正月だけでも、京都にはいろんな行事や習わしがあります。おせち、お雑煮、飾り物などなど… その1つずつのテーマに光をあてて、丁寧に解説していきたいです。
②京都初心者から京都通の方までのためになるサイトとなる。
京都の暮らしについて、京都初心者にとっては文章や表現を寄稿サイトより簡潔にわかりやすく、しかし京都通の方のためには既存のブログより丁寧に濃く解説していきたいです。
他のサイトにはない情報を書いていきます。また、間違って流布している情報を正す勢いで書きたいです。
③古い時代の習わし事を記録し、のちの資料となるサイトとなる。
私の知っている「古くから京都に住んできた人しか知らない京都の知識」を記録として残しておきたいです。
今後、昔から住んでいる京都人が増えることはありません。むしろどんどん減っていくでしょう。
昔から、そういった知識は生まれては消え、を繰り返してきたわけですから、消えるものがあってもおかしくはありません。しかし「こういう習わしや行事があった」と残すことは大事だと思っています。
一個人のやることですが、今のうちに覚えていることを記し、たとえ習わし事が途絶えてしまっても、資料としてだけでも残すことができれば嬉しいです。
今ではこれが私のライフワークとなりました。京都の暮らしについてすべて知っているとはとても言えませんが、私は私の知っていることすべてを、このブログに残しておきたいと思っています。
京都を深く愛しておられる方のために、少しでもお役に立てれば嬉しいです。
7.連絡先
X(Twitter) | あや@「ほんまもん京都がわかるブログ」 |
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