京都のお盆が始まる前には、「おしょらい迎え」をする京都の人たちで京都市内のお寺がにぎわいます。
「おしょらい迎え」とは、お盆にお祀りをする「おしょらいさん=ご先祖さんの霊」をお迎えに行くことです。
さて、これはあまり知られていないことなのですが、実はお寺に行ってお迎えする霊の中には、「おしょらいさん」に交じって「別の霊」もいるのをご存じでしょうか?
え、別の霊?! それ何?…誰? …怖い…!
怖がらなくても大丈夫。今回はこの「別の霊」について解説したいと思います。これを読むと
・別の霊に対する考え方
・別の霊の対応方法
・そもそもお盆とは何をする時期なのか
がわかります。
オカルトな話とちゃうえ~!💦
怖がる必要がなくなるので是非読んでいただきたいと思います^^
また、おしょらい迎えについてはこちらに解説しています。
1.「別の霊」とはこれ!
さて、そのおしょらいさんに混ざる「別の霊」とは何なのでしょうか?
…それは無縁仏なのです…。
実は「おしょらいさん」を迎えに行ったとき、一緒にどうしても無縁仏さんを連れ帰ってしまうと言われています。この方たちを「法界の仏様」と呼んでいます。
「法界」とは
自分とは何の縁故もない人のこと。「デジタル大辞泉」
とあります。
よって「法界の仏様」は「自分とは無縁の仏様=無縁仏」ということになるのです。
2.法界の仏様を大事にしないといけない理由
うわ~無縁仏を連れ帰っちゃうの?!
そうなんえ~ ひょっとしたらお隣のずっとお参りのないお墓の霊かもしれんなぁ(笑)
ひぇ~(怖)!でも、お盆はご先祖さんにお供えする時なんだから、無縁仏さんはほっといていいよね?!
ううん、それは違うのん。無縁さん、法界の仏さんこそ大事にせなあかんのんえ。
①施餓鬼供養とは?
一般にお盆では、ご先祖様に喜んでいただけるようにお供えをすることになっています。一方無縁仏(法界の仏様)は普段は誰からもお参りが無く、なんのお供えもしてもらっていません。なので、無縁仏が「餓鬼🔥」になっている可能性があり、そんな仏様が一緒に家についてこられるわけですね。
そこでお盆にはご先祖さんと同様に「施餓鬼供養」という供養を行います。ご先祖さんでもない全く無縁(=法界)の仏様を供養することになっています。
*浄土宗の教えとして説明しています。
「施餓鬼」とはどういう意味でしょうか。それは
餓鬼に施す
という意味です。「施す」とは「恵み与える」という意味なので、「施餓鬼」とは、地獄に堕ちて餓鬼となっている人たちに食べ物を供えるという施しをすることですね。
②施餓鬼供養で大きな「功徳を得る」!
そしてこの施餓鬼供養で「功徳を得る」のです。
「功徳を得る」とは「善い行いをすることが、自分に良いこととして返ってくる」ことです。餓鬼に施すことで功徳を期待するわけですね。そしてまたお盆では、棚経に来られたお坊さんにお経を読んでいただき供養してもらえます。さらなる功徳が得られることになのです!
そしてここで大事なことは
普段はご先祖さんにのみ行っている施しを「無縁の餓鬼にまで」行うこと
です。自分とは関係のない人にまで供養(施し)をする、ということは、功徳としてはかなり大きなポイントが得られる行為なのです。
③この功徳をどうする?
またこの時、その「功徳」はもちろん自分が幸せになる元となるだけでなく、これをご先祖さんにお供えすると、ご先祖さんをも楽しませ幸せにすることができるのです。お盆は、施餓鬼をして得た「功徳」をご先祖さんにお供えできる数少ない機会となるんですね。
ご先祖さんに直接食べ物などをお供えする以上に功徳の力は大きいと思われることから、お盆はもちろん、お彼岸においても先祖供養とともに施餓鬼供養が行われるのでしょう。
ただし、普段は関係のないお墓を触ったり掃除をしたらダメて言われてたえ。ちゃんと供養もできひん時は関わったらあかん、てことやな。
3.お盆の始まりになったエピソードとも共通点が!
これは次のお盆の始まりともなったエピソードに基づいているところがあります。
お盆という言葉の元となったのは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、サンスクリット語の「ウラバンナ」です。
お釈迦様の弟子・目連の母親が「餓鬼道」に落ち苦しんでいたとき、お母さんは逆さづりになり、ご飯をあげても全部火になって食べられませんでした。
そこでお釈迦さんから教わったとおり、「夏までの90日間夏安居(げあんご)という修行をしている僧侶に、最終日の7月15日にご馳走してお母さんの回向をしてもらう」と、その功徳のおかげでお母さんは無事成仏して極楽へ行くことができたということです。
これはお母さんへの回向だけでなく、僧にご馳走することが功徳になり、お母さんへそれが届いたということなんですね。お盆に「施餓鬼供養」をすることで、仏教の教えの根源的な部分を再現していることになるのでしょう。
その代わり、お盆が済んだら無縁仏さんは全員帰ってもらいます!家に置いたらダメ!
徹底的に無縁仏さんを追い出すにはどうしているのか?こちらの中にあるのでどうぞ。
4.まとめ
・実は「おしょらいさん」の中には「別の霊」も混ざっている?!
「おしょらいさん」を迎えに行ったとき、一緒にどうしても無縁仏さんを連れ帰ってしまいます。この方たちを「法界の仏様」と呼んでいます。
「法界」とは、自分とは何の縁故もない人の意味であることから、法界の仏様は無縁仏の意味となります。
・法界の仏様を大事にしないといけない理由
①施餓鬼供養とは?
お盆にはご先祖さんと同様に「施餓鬼供養」という供養を行います。ご先祖さんでもない全く無縁(=法界)の仏様を供養することになっています。「施餓鬼」とは餓鬼に変貌してしまった無縁仏に食べ物を施すことです。
②施餓鬼供養で大きな「功徳を得る」!
善い行いをすることが、自分に良いこととして返ってくるのが「功徳を得る」ということです。普段はご先祖さんにのみ行っているのですが、その施しを「無縁の餓鬼にまで」行うことで大きな功徳を得られると考えます。
③この功徳をどうする?
「功徳」で自分が幸せになるだけでなく、ご先祖さんにお供えすることでご先祖さんをも幸せにできます。数少ない機会ですが、お盆だけでなくお彼岸でも施餓鬼供養は行われています。
・お盆の始まりになったエピソードとも共通点が!
お盆という言葉の元となったのは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」での逸話の中に、お釈迦様の弟子・目連の母親が「餓鬼道」で苦しんでいた話があります。目連はお釈迦さんに相談、夏安吾の修行僧にご馳走し、お母さんの回向をしてもらうことでお母さんは成仏したという話でした。お母さんではなく僧にご馳走することが功徳になっていたということですね。
お盆には無縁仏さんにも親切にするものですね♪
今回は以上です。京都の伝統行事に興味のある方のお役に立てれば嬉しいです!
*お盆シリーズ ~京都通なら知っておきたい京都のお盆・その3~ の前の記事はこちら。
*次の記事はこちら。
*番外編:やってみたい方・研究者向け
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