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⑦洛陽四十八願所 第七願 浄福寺 ~三国伝来の釈迦如来がおわす古刹~

浄福寺 アイキャッチ画像 京の寺社めぐり
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「洛陽四十八願所」の第七願は「浄福寺」です。他のブログで第七願が洛陽四十八願地蔵巡礼だと書かれているものがありますが、お地蔵さんのほうは第十六願なので、お間違えの無いように♪

巡礼「洛陽四十八願所」について知りたい方はこちらでどうぞ。

このサイトでは京都に先祖から300年以上住み続けている「あや」が、「ほんまもんの京都」「知ってると得する情報」「京都人でもほとんど知らないトリビア的情報」をお伝えしています。どんどん増やしていきますので、ぜひブックマークよろしくお願いします!

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1.第七願 浄福寺について

<第七願 浄福寺>

宗 派  浄土宗
寺院名  恵照山 浄福寺
所在地  〒602-8453 京都市上京区浄福寺通一条上ル笹屋町二丁目601 
本 尊  阿弥陀如来
御朱印  現在は授与せず
サイト等 
京都観光Navi

①歴史

延暦年間(782~806)に賢憬が天台宗の寺院として開創したと言われています。二十五大寺の1つと言われていますが、住職さんのお話によると、延暦寺とならぶ鬼門除けのために内裏内に建てられたお寺で、さらに七大寺の1つということでした。

10世紀より何度も火災にあったこともあり、場所の移転が多く宗派も何度も変わりました。

内裏が現在地あたりに移ったとき、浄福寺はそのまま残ったということでした(ご住職談)。そこから場所はさらに移転し、1276年に御宇多天皇の勅により移転した場所が村雲(堀川一条あたり)の地であったので「村雲むらくも寺」と呼ばれました。天和元年(1615年)に現在地へと移ったようです。

このあたり、資料がいろいろでよくわかりませんが、村雲にあったことはどこにも書かれているので、そこは確かではないかと思われます。

宗派は 天台宗→臨済宗→天台宗→天台浄土宗→浄土宗 と変遷。めまぐるしいですね!場所も宗派も朝廷や時の権力者により変えられていったようです。

以上ざっと浄福寺の歴史について説明しましたが、詳細は他のサイトでご確認くださいm(_ _)m
*参照:京都風光(浄福寺)

あや
あや

うちのご先祖さんの一人もお墓があるし(ごく一般人!)親しみのあるお寺なん。

②仏像・墓など

本堂には本尊阿弥陀如来像を安置し、釈迦堂には嵯峨清凉寺にある釈迦如来像を摸刻したという像を安置しています(後述)。また、古いお寺だけあって、大変多くの寺宝があります。以下に代表的なものをあげておきます。

「十王像」10幅(重文) 土佐光信筆
「寒山拾得之図」 山田文厚作
「阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図」2幅(重文)
「阿弥陀教変相図」 土佐光信作

曼荼羅:当麻曼荼羅→「観無量寿経曼荼羅」 「無量寿経曼荼羅」
法然上人:「法然上人涅槃図」「法然上人絵伝」「選択集十六章之図」

著名な人物のお墓も多数あるようです。

3.いざお参り!

①有名な赤門は東側の門。

このあたりは西陣と呼ばれる地域で、昔はどこからも機の音が聞こえていましたが、最近は町がすっかり様変わりしてしまいました。でも近くにある西陣京極*注 と呼ばれるところには、古い町並みはわずかに残り、お寺も大小数多くあります。

浄福寺赤門

浄福寺の正門です。赤いので「赤門」と呼ばれ、お寺の名も「赤門寺」と言われることがあります。

すぐ中の北側に護法大権現というお社があります。天明の大火の時、大きなうちわで火の粉を防いだ、という天狗が祀られているそうですよ♪

あや
あや

うちわであおいだら逆効果な気がするけど、火の粉はあおぎ返せるのかしらん…

注:戦前から大変にぎわった繁華街。映画館が多く、たくさんのお店が立ち並んでいました。それに連なって千本通の商店街も多くの人が買い物にやって来ました

②今日は南門から入る…

非公開寺院の公開日で、法要があったのでそれに合わせてやってきました。

で、すみません、今回は自転車で行ったので、近くて入りやすい方の南門から入ります…

浄福寺裏門

南門へ行く道は一条通から入っていくのですが、うっかりすると素通りしてしまいます。

浄福寺参道という碑が建っているので、こちらから入る時は、それを目印に入ってください。

そうですね、初めて来る方は赤門から入ったほうが無難かもしれません…

むこうには本堂が見えますね。

実はこちらは同じ四十八願でも、お地蔵さんの四十八願所としてのほうが有名です。南門から入ってすぐ左に、「引接(ひっぱり)地蔵」というお地蔵さんがおられます。幸せの方にひっぱってくださるそうですよ。しかし今日は法要の時間に遅刻しそうだったのでお参りをせず… また次写真撮ってきます。

③本堂に阿弥陀如来さんがおられるが…
阿弥陀堂

本堂です。中には本尊の阿弥陀如来さんが安置されています。

こちらも大変変わった造りになっていて、「最古の違法建築物」と言われているそうです。当時の建築基準「三間梁さんげんはり規制(奥行)」に合わせるために、奥の別棟に見える建物とくっつけて、2つの建物に見えるようにしたそうです。中は1つになってるんですよ♪

阿弥陀さんの四十八願なので、本来なら本堂の拝観をお願いしたいところですが、今回はお釈迦さまの絵解きをされることになっているので可能かどうか…

④今回は絵解きを聞きに釈迦堂へ。

本堂を横目に見ながら東の釈迦堂へ。。

釈迦堂へ行く
釈迦堂にはもうすでに人が。
釈迦堂正面
釈迦堂正面。「三国伝来釈尊」の額が掛かっています。

釈迦堂の前には「京都浄土宗寺院特別大公開」ののぼり幡が立っています。大公開の案内にもあった、「三国伝来釈迦牟尼仏」の御開帳と「釈迦涅槃図」の絵解きが行われました。絵解きとは、絵図を見ながら、仏様に代わって和尚さんが説教をされることを言います。

江戸時代には説教の半分が絵解きだったそうです。そのため絵図が盛んに作られました。ところが明治になると狩野派が衰退(ほぼ無くなる)、その上明治2年には神仏分離令・廃仏毀釈のあおりをうけ、絵解きが禁止されました。そのため絵解きは現代ではほとんど行われないようになったようです。

しかし現在も浄福寺さんでは、折に触れ釈迦涅槃図や十王図などで絵解きをされているそうです。

今回の絵図は二幅の涅槃図。時は2500年前、お釈迦様80才の時のことです。絵図には、お釈迦様が鍛冶職人の息子チュンダが出した毒キノコに当たって床に伏され、今にも涅槃へ旅立とうとされている姿が描かれています。

今回はこの絵図により、ご住職の大変面白い語りで興味深い教えを説いてくださいました。

たとえば、お釈迦様が涅槃の時北枕にされていたのは、(インドの)北へ教えが広がるよう、西を向かれていたのは西方浄土に向かわれるようにとのこと。それから、「三法印」という大事な教え「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」についても絵に描かれているそうです。

また絵の中での解釈で意外だったのは、沙羅双樹に掛けられた袋の中身がお薬ではなく、お釈迦様が普段持ち歩いておられた錫杖と食器だったというご説明。たしかにそれも修行の旅には必須の道具だなと思うのですが、わざわざそこまで絵に描く意味はなんだったのだろう、とそちらが気になってしまうのでした…

あや
あや

阿難尊者アーナンダさんはすごいイケメンで、涅槃図にどう描くかも大事らしいえ。

絵解きは定期的にされているので、また浄福寺さんに来てお話を聞いてみたいです。その時には阿弥陀様と「引接地蔵」さまにリベンジでお参りを!

⑤三国伝来釈迦牟尼仏を拝観。撮影もできました!

ご住職がお釈迦様の前の幕をリモコン(!)で上げられ、拝観することができました。こちらの釈迦如来さんは清凉寺のお釈迦様を写したものだそうです。

三国伝来の釈迦仏
お厨子もきれいに修復されています。

如来像の写真は許可いただきましたので、今回は撮影しました

姿を写した元の清凉寺のお釈迦さまは、奝然ちょうねんが宋から請来したもので、あちらに祀られていた優填王うでんのう思慕像(生きておられたころのお釈迦さまを優填王が写したもの)を写し持ち帰ったものだそうです。

つまり
インド→宋→清凉寺→浄福寺
と伝わったわけですね。

なお、姿を写した仏様は他にもたくさんおられるそうですよ。

浄福寺の釈迦像も渡来の仏様の雰囲気があり、他で見るお釈迦様よりもほっそりとされていました。

⑤結局阿弥陀さんは拝観できず…

ということで、今回は阿弥陀さんへの拝観はありませんでした。やはりイベント時は阿弥陀さんの拝観ができるかどうかあらかじめ聞く必要があるようです。阿弥陀さんの拝観自体がイベントとなっていれば一番楽なのですが…

お参り時の注意点

・観光寺院でない普段から人の出入りがほとんどないお寺の場合、出入り自由のイベント以外では必ずお電話で許可を得てください(断られることもあります)
御朱印をいただく仏様を必ずお参りください。
・境内の写真はお寺さんに許可をいただいてから撮ってください(仏像は信仰対象なので撮影不可が多いです)。

3.御朱印

拝観もしていないのに御朱印をいただくのは…と思いながら一応お願いしてみましたが、こちらでは今は普段から御朱印は書かれていないとのこと。御朱印を書いていると絵解きができないから、というのが理由でした。それは大変ごもっともで、それ以上お願いはできませんでした…

4.阿弥陀如来の誓願

阿弥陀如来の誓願を書いておきましょう。7番目です。

第七願 「天耳智通てんにちつう

自らが成仏した国土(極楽世界)の人天が遥か遠くの音を聞き取る能力(天耳智通)を得て、計り知れないほど多くの仏の説法を聞いてすべて記憶するようにしたいという願。

参考:新纂浄土宗辞典

5.寺への道のり

*地図が見えにくい時は地図上をクリックしてください。

住所表記は「京都市上京区浄福寺通一条上ル笹屋町二丁目601」。

浄福寺通に面していて、一条通より北側にあります。浄福寺通は南北に通る縦の通りですが、一条通でかぎ状に曲がっており、ちょっとわかりにくいので気を付けていただきたいです。正門である東門(赤門)が浄福寺通に面しており、一条通にも北側に通用門のような南門があります。

京都の住所表記法については「第一願 聖徳寺」の京都の住所表記について

あや
あや

かぎ状に曲がっている」ことを昔は「がんぎ」て言うたんえ。元の意味は、雁が飛ぶようすを表してるらしいわ。


*さて次は、第八願石像寺しゃくぞうじです。ご近所の方が「くぎぬき地蔵さん」と呼んでいるお寺です♪
こちら御朱印はいただけるのですが、条件がちょっと厳しいです(年を重ねるほど…)。頑張ります!

*浄福寺の前は第6願 大超寺さんですが、上京区から左京区に引っ越されて遠くなったので、まだお参りができていませんm(_ _)m お参りできたらリンク入れます。頑張ります。

あや

ご先祖さんより京都・上京区に300年以上居住しています。細かな習わし事まで続けてきた先祖の行いを受け継いで、私も京都の年中行事やお祭が大好きです。京都に住んでいる方・京都が好きな方に、知って役に立つ、また他所では教えてもらえない京都情報をお伝えします。

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