「洛陽四十八願所」の第三十一願は、「六道の辻」にある「西福寺」です。
場所は六波羅蜜寺の北側と言えばわかりやすいかと思います。松原通をずーっと東に行って、松原橋を渡るとそこは昔の葬送地・鳥辺山。次第にあの世の世界に近づいていきます。
「六道の辻」は異世界感たっぷりの場所なのです~
巡礼「洛陽四十八願所」について知りたい方はこちらでどうぞ。
1.第三十一願 西福寺について
宗 派 浄土宗
寺院名 桂光山 敬信院 西福寺
所在地 〒605-0813 東山区松原通大和大路東入ル二丁目轆轤町81
本 尊 阿弥陀如来
御朱印 有(書き置きのみ)
サイト等 http://www.kotobuki-p.co.jp/kensaku/data/11sa06.htm
①歴史
西福寺の歴史は、平安時代初期の地蔵堂建立に始まり、戦乱や火災を乗り越えて現在の姿へと受け継がれてきました。
| 時代・年代 | 出来事 |
|---|---|
| 貞観年間(859〜876年頃) | 弘法大師(空海)が地蔵堂を建立し、自作の土仏地蔵菩薩像を安置。西福寺の始まりと伝えられています。 |
| 平安時代初期 | 檀林皇后(橘嘉智子)が深く帰依し、皇子の病気平癒を祈願。これを機に「子育地蔵」の信仰が広まりました。 |
| 鎌倉時代初期 | 後白河法皇が熊野詣の無事を祈願。帰京後、熊野の不動明王を勧請し、地蔵尊の守護神として祀りました。 |
| 戦国時代 | 応仁の乱など度重なる戦火により、地蔵堂や諸堂が一時荒廃しました。 |
| 慶長8年(1603年) | 毛利家臣・井上安芸守らが安国寺恵瓊の菩提を弔うため寺院を建立し、浄土宗・桂光山敬信院として開山しました。 |
| 享保12年(1727年) | 火災後、関白・二条綱平が父の追善供養として再建。現在の本堂などの伽藍が整えられ正式に西福寺となりました。 |
所在地である「六道の辻」は昔の風葬の地「鳥辺野」の入り口であり、霊を迎え、慰める場所としては最適であると言えるでしょう。
②寺宝(仏像・墓など)
1)絵図
「壇林皇后九相図」や「六道十界図」、「洛中洛外図屛風」などがあります(普段は博物館等にて保管)。特に貴重なのはこの2つ。
「壇林皇后九相図」
江戸時代初期に制作された作者不詳の仏教絵画です。絶世の美女と伝わる檀林皇后の遺言をもとに、美しい肉体が朽ちて白骨となるまでの九つの段階を描き、命のはかなさや仏教の無常観を今に伝えています。
「九相図」というのは他のお寺にもあるそうなのですが、壇林皇后とのご縁があり、この世とあの世の境目に位置するともいえる西福寺にあるからこその意味合いも大きいかと思います。

1200年経ってもまだその美貌が伝えられるて、すごいわぁ…
「六道十界図」
古くから絵解き(説法)に用いられてきた仏教絵画です。六道や十界の世界が描かれ、特に地獄の責め苦を生々しく表現した場面は強い印象を与えます。鳥辺野の入口という立地とも深く結び付き、西福寺を代表する寺宝の一つです。
拝観については後述しますので、最後まで読んでくださいね♪
2)仏像
仏像は本尊の阿弥陀如来像のほか、前出の空海作の土仏地蔵尊(子育地蔵)・不動尊(水掛末廣不動尊)が祀られています。
子育地蔵尊と末廣不動尊にはこんないわれがありますよ。
「子育地蔵尊」
平安時代初期、弘法大師・空海が土をこねて造った地蔵尊が始まりと伝わっています。嵯峨天皇のお后・檀林皇后が祈願して皇子を授かったとの伝承から、子授けや安産、子どもの健やかな成長を願う人々の信仰を集めています。
「末廣不動尊」
鎌倉時代初期、後白河法皇が熊野詣を無事に終えた感謝として勧請したと伝わる不動尊です。子育地蔵尊の守り神としてお祀りされています。水を掛けて祈願することから「水掛末廣不動尊」とも言われています。商売繁盛を祈る方が多いとか。
2.いざお参り!
お参り日:令和6年(2024年)10月1日 快晴でした♪
①松原通は五条通だった?!


自宅からなので、鴨川を東に渡ってやってきました。市内ですが、上京からは遠いこともあり、めったに来ない地域です。自宅から自転車で40分くらいかかったでしょうか。
秀吉の時代より前、松原通は「五条通」だったんですよ。なので、松原橋は「五条橋」だった。松が並んで生えていたので、「五条松原橋」と言われていたということです。
その後、秀吉が「六条坊門小路」と言われていた道を五条通にしたことで、そこから架かった橋が「五条橋」になりました。すると、「五条松原橋」は紛らわしいということで「松原橋」になり、その道も「松原通」になったようです。

太閤さんが五条通を替えてしもたんやなぁ。あ~ややこし!
②六道の辻からお寺へ~
ここから東へ行きます。


橋を渡ると向こうに松原通が続いています。しばらく歩くとお寺が右手(南側)に見えてきました!

お寺の向かいに幽霊飴売ってたのに、お寺しか見てなかったし撮り忘れた!!カンニン!

四辻の角には「六道の辻」の石碑が建っていました。
ここはあの世の入り口なんですね…
そして横には西福寺の名前があります。西福寺の南には六波羅蜜寺。
お盆の前、このあたりは「おしょらい迎え」をする人たちでいっぱいになります。亡くなったご先祖さんをお迎えにくるのですが、きっとその時期にはこのあたり、おしょらいさんが渋滞しているのでしょうね!

ご先祖さんやら、無縁(仏)さんやらがぎっしり!!


左側の門を入ると、まっすぐ前には末廣不動尊、左には子育地蔵尊がおられます。そして阿弥陀様はというと、右手の入口から入って左にある本堂にお祀りされています!四十八願所のお参りをする方は、必ず本堂へ行って阿弥陀様を拝んでくださいね。
本堂にはとても美しい花天井があるんですよ♪ 近年の作ということで西洋の花も含まれており、他寺院の花天井とはまた違った趣がありますね。私も見せていただきましたが本当に綺麗でした♪

写真は撮れへんかったえ。たまにブログ載せてる人やはるけど、あれはルール違反ちゃうかなぁ💦
こちら、通常本堂の公開はされていません。なので普段は外からのぞき込むしかできないのです。だけど拝観したいですよね~ でもこれには2つの有効な方法があります。
1つ目は、毎年10月に行われる「京都浄土宗寺院特別大公開」。
この催しを利用して拝観することができます。但し、毎年西福寺さんが参加されるかどうかはわかりません。
2つ目は、お盆に行われる「六道参り」の期間中に行くこと。
これは京都で言う「おしょらい迎え」のことで、先祖があの世から帰ってこられるのをお迎えに行く行事です。「壇林皇后九相図」も拝観できますし、六道参りは毎年必ずありますから、やはりどちらかといえばお盆の時期が確実かもしれませんね。
また、六道参りは8月7日~10日ですが、念のため日程は毎年確認されるのが良いかと思います。絵解き(絵を解説しながら説法すること)をされることもあるとのことですよ♪
住職代理の方のお話が素敵❤
今回お参りをしたときに、入り口近くに住職代理の青谷蓮葉さんがおられました。こちらで毎年お盆の時にされる絵解き・六道の話を伺ったのですが本当にお話が楽しい!しっかりと浄土宗の教えを混ぜながらのお話はとっても面白く、思わず引き込まれました!
・観光寺院でない普段から人の出入りがほとんどないお寺の場合、出入り自由のイベント以外では必ずお電話で許可を得てください(断られることもあります)。
・御朱印をいただく仏様を必ずお参りください。
・境内の写真はお寺さんに許可をいただいてから撮ってください(仏像は信仰対象なので撮影不可が多いです)。
3.御朱印

「法王殿」とは、阿弥陀如来さんの住む世界だそうです。
阿弥陀さんの巡礼なのでピッタリですね。
今回は上記の1つ目の方法、浄土宗寺院大公開のタイミングでお参りをしたので、下の2つの特別御朱印もいただきました。
2024年10月現在で1体300円、下の特別御朱印は1体400円でした。


4.阿弥陀如来の誓願
阿弥陀如来の誓願の31番目です。
仏や衆生が住む世界が清らかになること。
参考:新纂浄土宗辞典
5.西福寺への道のり
*地図が見えにくい時は地図上をクリックしてください。
住所表記は「京都市東山区松原通大和大路東入ル西轆轤町81」。
→京都の住所表記法については「第一願 聖徳寺」の京都の住所表記についてへ
京都駅からはいろいろな循環系統の市バスで行けますが、1本で行ける206がおすすめです。ただ、とても混んでいるので、時間はバスより10分ほど長くかかりますが(35分くらい)、晴れの日なら徒歩で行くのも良いかもしれません。

今回は自転車で行ったけど置き場所に困ったわ。公共交通機関で行った方がええかも。
浄土宗だけに絞っても、西福寺の名を持つお寺は複数あります。東山区のちょっと難しい「轆轤町」という名前で憶えてくださいね。
難しい町名ですが、「轆轤」は「ろくろ」と読みます。もともとの名前は「髑髏=どくろ」だったようです。風葬の地・鳥辺山の入り口、というロケーションから考えても納得のいく名前ですね。しかしあまりに恐ろしい名前だったせいか、江戸時代に改名されたそうです。「六道」や「六波羅」にも似てるので、そちらも名前の由来が関係しているようにも思えますね。
では、次もお楽しみに♪
西福寺の前はこちら。
そもそもこの巡礼を始めた理由を書いています。




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