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㉟洛陽四十八願所 第三十五願 蓮光寺 ~阿弥陀様が2つに分身?!~

蓮光寺 アイキャッチ画像 京の寺社めぐり
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「洛陽四十八願所」の第三十五願は「蓮光寺」です。また、回る順番はこちらは同じく35番目となっています。34番目は第三十六願の長講堂で、願の数は逆の流れになっています~

巡礼「洛陽四十八願所」について知りたい方はこちらでどうぞ。

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1.第三十五願 蓮光寺について

<第三十五願 蓮光寺>

宗 派  浄土宗
寺院名  負別山 蓮光寺
所在地  〒600-8119 京都市下京区富小路通六条上ル本塩竈町534 
本 尊  阿弥陀如来
御朱印  有(イベント時) 普段は無理かも…
サイト等 http://www.renkouji.info/

①歴史

蓮光寺さんのサイトや立札を参考に歴史を時系列でまとめました(一部抜粋)。

蓮光寺 立札
明応元年(1492年)天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし下京区の新町高辻に創建。
高野山の苅萱堂に似せて草庵を結んだのが最初で「萱堂」と言いました。
天正19年(1591年)豊臣秀吉の都市計画のため現在地に移りました。真盛上人の弟子、玉譽光順
上人が浄土宗に改め、二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称。
正保年間(1644~1647年)大阪城を設計した中井大和守の帰依を受けて本堂を建立。
元禄13年(1701年)勧修寺二品法親王より山号「負別山」の染筆を下賜されました。
天明8年(1788年)天明の大火・元治元年(1864年)蛤御門の変で焼失。
明治29年(1896年)再建
昭和58年(1983年)本堂の改修と書院、庫裏の再建。

「負別山」の山号は、ご本尊の阿弥陀如来さんが「負別おいわけ如来」と呼ばれているところからの命名でしょうね。

②仏像・墓など

とても貴重で有名な仏様やお墓があるので、詳しく調べてみましたよ♪

1)負別如来さんの由来がミラクル♪(蓮光寺さんのサイト説明を参照)

有名な仏師快慶の作と言われているご本尊の阿弥陀如来さん、この仏様が「負別如来」と呼ばれているのにはとても不思議な由来があります。

ある聖が快慶の夢に現れ、「まもなく来る東からの僧の仏像彫刻の依頼を受けよ」とお告げをしました。また、奥州の僧・覚明の夢にも「ご本尊は上洛し安阿弥(快慶)に作を依頼せよ」と聖が現れ告げたということで、覚明が快慶のところにやって来ました。

お互いの不思議な夢に驚き、快慶はその願いを快諾するのですが、完成するとその「相好は円満殊勝であり正に仏力の賜」に感動し、今度は手放すのが少し惜しくなったのです。時が経ち覚明が仏像を引き取りに来た時、思わず引き渡しの時期を延ばしてしまった快慶でしたが、さすがに2度目は偽れず覚明に渡しました。

しかし快慶はどうしてももう一度阿弥陀様を拝みたいと、阿弥陀様を負った覚明のあとを追って行きました。追いついた快慶は今までの事の次第を話してお詫びをしもう一度唐櫃を開けようとすると、たちまち光明が差し紫雲がたなびきました。驚いて2人が中をみると、なんと不思議なことに阿弥陀様が2つに増えていたのでした。細胞分裂的な増え方をした阿弥陀様を、覚明と快慶は有難くおのおの1体ずつ背負って持ち帰ったということでした…

もちろん見た目も美しい仏様なのでしょうが、拝みたい人のために自ら数を増やしてくださるという…そんな魅力的ですごい仏様、お目にかかりたいですよね!

あや
あや

もともと快慶さんの仏さんが大好きやし、ホンマに会いたい仏さんやったわ

*真正面・至近距離からの仏様・お墓の写真をご覧になりたい方は蓮光寺さんのサイト(縁起・因縁)を参照してください。

2)駒止地蔵尊(蓮光寺さんのサイト説明を参照)

高さ八尺の石造の地蔵尊があり、弘法大師の作だそうです。江戸時代の中期の名地蔵21体のうちの1つとなっています。

六条河原の刑場に祀られていましたが、保元3年(1158年)に平清盛の乗馬が急に動けなくなり掘ってみると、鴨川の氾濫で埋もれていたお地蔵さんが出てきたということです。清盛の馬を止めたので、「駒止地蔵尊」と言われるようになりました。

また盗賊に襲われた信者の身代わりになって首を斬られたことから「首斬り地蔵」とも言われています。

3)長宗我部盛親の墓(蓮光寺さんのサイト説明を参照)

長宗我部盛親というのは、ちょうど徳川と豊臣が戦ったころの代の武将です。

蓮光寺 長宗我部盛親の墓の解説
お墓は撮らず、今回は解説のみにしました。
蓮光寺 立札と長宗我部盛親瘞首(えいしゅ)の碑
「瘞首(えいしゅ)」とは、「首を埋める」という意味。

土佐の方で、関ヶ原の戦いで豊臣方で参戦、その後は京都で大岩祐夢と名を変え寺子屋を営んでいたそうです。

その後大阪の陣に参加し敗れ、六条河原で斬首されました。その首を盛親と親交があった蓮光上人が葬ったのがこちらの墓となります。

2.いざお参り!

こちらは普段は観光の方は入ることができませんが、同じ日にお参りした上徳寺・本覚寺とともに「浄土宗寺院大公開」で入ることができました。

蓮光寺 京都タワーが見える

六条通に近いのですが、今回は富小路通五条から南へ歩いて行きます。

蓮光寺へ行く道で向こうの景色を見ると、京都タワーが大きく見えました。

五条通から南は富小路通が南西に傾いているので、ちょうど通りの先に見えることになります。

蓮光寺 入り口の門

普段はこのように柵で遮られていますが、公開の日は自由に入れるようになっていました。

ただ、このようにいつもは非公開のお寺なので、蓮光寺にお参りするには公開の日を待つ方が良いと思います。

公開終了時間ギリギリに滑り込んだのですが、その時にはすでに法話が終わっていました。しかし阿弥陀様に近づいて参拝ができ、快慶作という美しいお顔をしっかりと見ることができました♪

あや
あや

公開時間は短いけど、その時間にさえ行ったらゆっくり見る時間はあると思うえ^^

そのあと四十八願についてもお尋ねしてみました。こちらの札のコピーをお渡しすると驚いておられました。やはり今は、四十八願でお参りに来られる方はほとんどおられないようです。普段は公開されていないわけですから仕方ないですね💦

お参り時の注意点

・観光寺院でない普段から人の出入りがほとんどないお寺の場合、出入り自由のイベント以外では必ずお電話で許可を得てください(断られることもあります)。
御朱印をいただく仏様を必ずお参りください。
・堂内の写真はお寺さんに許可をいただいてから撮ってください(仏像は信仰対象なので撮影不可が多いです)。

3.御朱印

蓮光寺 御朱印

「負別如来」いただきました。

仏様が2つに分かれ、京都と奥州に背負って持ち帰られたということは、もう一体東北にあるはずです。

実はもう一体はちゃんと仙台の阿弥陀堂にあるとのことでした!全く同じ仏様ではないものの、そんなお話が残っているというのもロマンがありますね♪

4.阿弥陀如来の誓願

阿弥陀如来の誓願の35番目です。

第三十五願 「女人往生にょにんおうじょう

女性が浄土往生すること。

参考:新纂浄土宗辞典

すぐ東に女性の守り神である「市比賣神社」がありますね。女性の味方をする神社とお寺が並んでいるのはなにかご縁を感じます。                            

5.蓮光寺への道のり

*地図が見えにくい時は地図上をクリックしてください。

住所表記は「京都市下京区富小路通六条上ル本塩竈町534」。

富小路通に面し、六条通を北に上がったところにあります。六条通は五条通に比べかなり細くわかりにくいのですが、蓮光寺が五条通よりは六条通に近いところにあるので住所に採用してますね。

京都の住所表記法については「第一願 聖徳寺」の京都の住所表記について


南から順に来て、次は北にある36番目・第三十四願の上徳寺に行くことになります。

蓮光寺の前はこちら

長講堂

あや

ご先祖さんより京都・上京区に300年以上居住しています。細かな習わし事まで続けてきた先祖の行いを受け継いで、私も京都の年中行事やお祭が大好きです。京都に住んでいる方・京都が好きな方に、知って役に立つ、また他所では教えてもらえない京都情報をお伝えします。

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