「洛陽四十八願所」の第二十六願は「禅林寺」です。別名を「永観堂」と言いますが、こちらのほうが有名なので、ここでは「永観堂」と書くことにします。また、回る順番は23番目となっています。
永観堂は「紅葉の永観堂」としてあまりにも有名で、毎年紅葉の季節になると、大変多くの方がお参りされるお寺です。逆に静かにお参りしたければこの季節を外せばよいのですが、こちらの紅葉は本当に美しく、やはり「行くならば紅葉も見たい!」と思うのは仕方ないですよね(笑)
で、例にもれず私も右に倣えをしてしまいました♪ 本当に美しいので、真如堂・金戒光明寺と合わせ、この3カ寺は11月末からお参りするのがベストです!
今回の投稿は紅葉の写真もありながらも四十八願のお参りをメインとしました。紅葉の写真は「紅葉の名所・永観堂」として別記事にしていますので、そちらもご覧ください!
巡礼を回る順番と四十八願の「願」の数はお寺によって違うことがあります。回る順番は、巡礼を行いやすいように地理的に近いところを次にすることがあって、「願」の番号とは順番が変わってしまったりするのです。今回は「願」ではなく、巡礼を回る順番通り並べていきますのでご注意ください!
巡礼「洛陽四十八願所」について知りたい方はこちらでどうぞ。
1.第二十六願 禅林寺(永観堂)について
①歴史
ではまず永観堂の歴史から。浄土宗のお寺と言いながら、こちらも真言密教のお寺として創建されました。その後、永観律師から静遍 僧都までは真言密教と三論宗系の浄土教寺院となり、その後は浄土宗の寺院となったということです。
| 仁寿3(853)年 | 真紹、藤原関雄の元屋敷を禅林寺の敷地とする。 |
| 貞観5(863)年 | 清和天皇により「禅林寺」と名づけられる(この年創建)。 |
| 元慶元(877)年 | 仏殿を造立し、勅願寺とする。 |
| 永保2(1082)年 | 永観、念仏行道の時、壇上の弥陀、みかえりの相を感得。 |
| 建久元(1190)年 | 派祖西山証空上人、法然の弟子となる。 |
| 建久9(1198)年 | 源頼朝、禅林寺に詣で大般若経を寄進。法然『選択本願念仏集』を撰す。 |
| 嘉禎元(1235)年 | この頃、阿弥陀堂建立。 |
| 応仁年間(1467-69) | 応仁の乱がおこり、すべて焼失。 |
| 文明4(1472)ー明応6(1497)年 | 本堂以下復興させる。 |
| 1500年代 | 臥龍廊・鐘楼堂・本堂(御影堂)建立。庫裏再建。 |
| 慶長12(1607)年 | 阿弥陀堂を大阪より移建。 |
| 貞享2(1685)年 | 名弥陀(後の六阿弥陀信仰)・四十八願寺(禅林寺二十六願)参りの庶民信仰が盛んと、案内記『京羽二重』にある。 |
| 1700年代 | 中門建立。鐘楼・祖廟堂再建。 |
| 寛政8(1796)年 | 証空上人の五百五十年大遠忌に、光格天皇より鑑知国師の号をいただく。 |
| 1800年代 | 唐門(勅使門)・講堂・瑞紫殿再建。総門建立。祖廟堂建増。 |
| 大正元(1912)年 | (今の)御影堂竣工。 |
この歴史解説も年表も永観堂のサイトにあったもので、年表はお寺自身に関することだけを選び、わかりやすい言葉に置き換えたものです。
禅林寺についての解説はこちら、正式な年表はこちらにありますので、永観堂(禅林寺)の歴史を詳しく知りたい方はそちらでお願いします。
ここで私が「オッ!!」と思ったのが、貞享2年(1685年)の記述です。
四十八願寺(禅林寺二十六願)参りの庶民信仰が盛んと、案内記『京羽二重』にある。
四十八願のことがサイトの中にちゃんと書かれていましたよ!永観堂さんもしっかりと認識されていますね^^
②仏像・墓など
これも永観堂のサイトよりいただいたものです。あまりにも多すぎて、善導大師像・永観律師像+国宝と重文以外は割愛いたしましたm(_ _)m すべて見たい方は公式サイトの「永観堂 寺宝一覧」にてご覧ください(そこにリンクがあるものは、写真も見ることができます)。
| 阿弥陀如来像(みかえり阿弥陀) | 鎌倉時代初期 | 重文 |
| 善導大師(法然上人の師と言われる方) | – | – |
| 永観律師像(通称の元となった方) | – | – |
| 絹本着色山越阿弥陀図 | – | 国宝 |
| 来迎阿弥陀如来像 | 鎌倉時代 | 重文 |
| 絹本着色当麻曼荼羅図 | 正安年間 | 重文 |
| 阿弥陀二十五菩薩来迎図 | 伝恵心僧都筆 | 重文 |
| 板着色二十五菩薩来迎図絵扉 | – | 重文 |
| 絹本着色十界図 | – | 重文 |
| 絹本着色伝釈迦如来像(阿弥陀如来像) | 高麗時代 | 重文 |
| 絹本着色十大弟子像 | 鎌倉時代後期 | 重文 |
| 絹本着色釈迦十六善神像 | – | 重文 |
| 紙本着色涅槃図 | 伝恵心僧都筆 | 重文 |
| 絹本着色十六羅漢像 | 唐代 | 重文 |
| 薬師如来像 | – | 重文 |
| 紙本着色融通念佛縁起絵巻 | 伝土佐光信筆 | 重文 |
| 紙本淡彩釈迦三尊像 | 狩野元信筆 | 重文 |
| 紙本墨画波濤図 | 長谷川等伯筆 | 重文 |
| 紙本墨書当麻曼荼羅縁起 | 弘長二年 道観房証慧筆 | 重文 |
| 金銅蓮華文磬(けい) | 唐代 | 国宝 |
通常時は襖絵などしか拝観できませんが、秋の特別拝観の時には国宝・重文級の寺宝が一部拝観できます。
3.いざお参り!
今回は四十八願の巡礼もあってこちらにお参りしていますから、紅葉を見るだけでなく、こちらの有名な「みかえり阿弥陀如来」様の参拝もしっかりして来ようと思います。とはいえ、多分写真は紅葉ばかりになりそうなのですが…(^^;
さぁでは入って行きましょう♪
まず1度目、境内図を貼っておきますね。元の地図は永観堂のサイトにもダウンロードできるようにしてあります。

①総門~大玄関
門は2つありますが、入り口は総門と言う門です(境内図左下)。

駐輪場有りとチェックしてたので、今回も自転車で行きました。上京区から50分くらいかかったかも。後ろが山のお寺に行くときは、いつも坂道に悩まされ、時間がかかってしまいます。
総門を入ってすぐ左に駐輪場がありましたが、年によって違ってはいけないので、門のところにいる方に尋ねたほうが良いと思います。門を通る時、そして駐輪場までは自転車は押して入ってくださいね♪
自転車を置いて左に進むと受付が見えてきます…白いテントのところですね。

が、もう周りが赤くてクラクラしてきました(笑)
受付を済ませると、中門をくぐり、大玄関に向かいます。


大玄関から中に入り、御朱印所で朱印帳を渡し後でもらいに来ないといけないのですが、紅葉に気を取られ、ご御朱印をいただいたことをすっかり忘れてしまう人が続出しているそうです。阿弥陀堂から出て靴を履く時に、「最初に入ったところに行く→御朱印!」と覚えておきましょうね!
②釈迦堂と唐門
ここから中に入りますが、紅葉は極力減らし、中身の説明をメインとしました。紅葉を見てるとやっぱりとっても美しいので、お堂や仏様の印象が飛んでしまうのです。紅葉は別の記事(紅葉編)で思いっきり出してますので、是非そちらをご覧くださいね!
1)釈迦堂の中からは写真が撮れないけれど…
まずは釈迦堂へ向かいます。釈迦堂は室町時代(応仁の乱後)に建てられた方丈と伝わっていますが、建物は再建で江戸時代のものです。写真撮影は一切ダメなので、お庭しか写せません(><)
でもお釈迦様にもご挨拶できたし、手を合わせるととても満ち足りた気分になれます♪メインは紅葉ではなくお参りですからね(紅葉の誘惑に負けてるが)。
こちらには複製ですが「秋草図」・「波濤図」があり、紅葉と美しさを競っていました^^
2)唐門も美しい!
朝廷の勅使がお寺に来た時に入るのがこの唐門(勅使門)で、釈迦堂の前にあります。


門の前には楕円形に盛られた砂があり、勅使はこれを踏みお清めをして中に入ったそうです。
門は紅葉が透けて美しいですね!
唐門から先に行くと、永観律師が貧しい人にその実を施した「悲田梅」という梅があるのですが、木の写真を撮らずお隣の紅葉を撮ってしまいましたw → 紅葉の写真は紅葉編のほうにあります♪
「悲田梅」について、パンフレットの説明にはこのように書かれているのでご紹介しますね。
永観律師は、境内の梅の木に実がなるのを待ちかねて、貧しい病人に施したといわれる。その梅の木は、いつしか「悲田梅」とよばれるようになり、今も永観堂の境内でかわいらしい実をつける。
聖徳太子の昔から、老人・孤児や貧者のお救い小屋として「悲田院」が作られてきましたが、名前はそこから来ているのでしょうね。
また、この釈迦堂と、釈迦堂より続いている古方丈・瑞紫殿では2024年の寺宝展「禅林寺に見られる浄土教美術の世界」が開かれ、多くの肖像画や阿弥陀さんの図や鎌倉時代からの文献などが展示されていました。

展示物が多いし、ものすご見ごたえがあったえ!特別拝観料払ろた値打ちあったわ~
位置関係がわかりにくいので、2回目案内図です♪古方丈・瑞紫殿がわかりやすいように番号を入れました。
①釈迦堂 ②瑞紫殿 ③古方丈

③御影堂~阿弥陀堂へ
1)「臥龍廊」と「三鈷の松」
廊下を通り、法然上人が祀られている御影堂を経て阿弥陀堂へ向かいます。廊下は龍のように上下にうねっているので、「臥龍廊」と言います。

この写真の中にドンと写ってる松が「三鈷の松」でしょうか?すみません、写した意識がなかったのですがこれかな?それにしても幹しか写ってませんm(_ _)m 葉先が三鈷杵のように3つに分かれているんですね。次行ったときはちゃんと見たいと思います。

三鈷杵に例えるて、さすが元真言密教のお寺やわ!
臥龍廊を進んで行くと真ん中の一番低いところに到着し、右へ上がって着いたところが阿弥陀堂です。左へ上ると開山堂へ行けるようになってます。
さていよいよメインの目的、「みかえりの阿弥陀如来」さんに会いに行きます!
2)「みかえりの阿弥陀如来」さん!!
臥龍廊を30秒ほど歩くと阿弥陀堂に着いて…そしてついに阿弥陀さんにお目にかかれました!
思ったより像は小さかったですね。目を凝らして見ると、やはり阿弥陀さんは横を向いておられました。
公式サイトによると、こんなエピソードがあるそうですよ。
もともとこの阿弥陀如来さんは東大寺におられたのですが、それをご覧になったこちらの永観律師が「宝蔵にしまっておくのはもったいない」と言われたそうです。そして、それを耳にした白河法皇のお達しにより、永観さんが東大寺から京都へ運ばれたということでした。そのことを知った東大寺の僧たちが追いかけて取り返そうとしたのですが、阿弥陀さんは永観さんの背中から離れようとしなかったんですって♪
その後お寺にて、永観さんがこちらで阿弥陀さんの周りを歩いてお念仏されていたとき、なんと、阿弥陀さんが降りて来て永観さんを先導するように歩かれたんだそうです!ビックリしますよねw 後ろから追い抜かれたんでしょうか(そこはどうでもええ)?
しかし驚くのはこれからです。永観さんもやはり驚かれて呆然としていると、阿弥陀さんが
「永観、おそし」
と言って振り向かれたのです!
今の「みかえり」の姿は、その時の慈悲深い阿弥陀様のお姿をそのままとどめているのだ、ということでした…
阿弥陀さんが須弥壇から下りて来られるのもビックリですし、もちろん先導してくださるのはもっとビックリ。おまけに「おそし!」と言われたら腰抜かしそうです笑
非常にシュールなお話ではありますが、悩む人たちを導いてくださるリアルな御姿だからこそ、みかえり阿弥陀さんは長く信仰の的となってきたのだろうなと思えたのでした。

*みかえり阿弥陀如来さんについては永観堂のこちらのページにあります。
特別拝観はここで終わりです。阿弥陀堂から出て(忘れず)御朱印帳をもらいに行き、しばらく紅葉を撮影してから次は多宝塔へ上ります。
*撮影した紅葉はこちらでどうぞ。
③多宝塔に上ると素晴らしい眺めが…
紅葉の赤さに圧倒されながらも、まだ行ってないところはどこかなと見ると、皆さんが高いところにいるのが見えました。それが多宝塔です。
多宝塔は山のふもとに建てられているので、多くの石段を上って行かなければなりません。しかし神護寺のような壮大な石段でもなく、また知恩院や金戒光明寺の門前ほど石段の高さが高くないので、ご年配の方でも十分に登れる高さだと思います。途中で休むところがいっぱいありますよ♪
上が円形、下が方形となっているきれいな塔ですが、そこまで上ると京都市内が一望できます。金戒光明寺の山門は南向きでしたが、こちらは東の端から京都市を西向けに見ることになります。


上まで上がり、振り向くと…!

京都市の西の端まで良く見えますね~
それほど高くはないので遠くの方はよくわかりませんが、「ちょっと高くて目立つ建物」や「西に連なる山々」は良く見えています。わかるところで場所の名前を入れてみました♪

ホテルオークラ京都が思ったより良く目立ってますね。ロームシアター京都の右にある森は平安神宮、手前の紅葉は岡崎公園のもののようです。愛宕山の手前には、見えてないけど神護寺があります。四十八願のお参りで一つ前の金戒光明寺も右手にちらっと見えてますね!
下の境内図も公式サイトにあります。見どころが多すぎて大変ですww

・御朱印をいただく仏様を必ずお参りください。
・境内の写真はお寺さんに許可をいただいてから撮ってください(仏像は信仰対象なので撮影不可が多いです)。→こちらのような大きなお寺では指示があると思います。

拝観が終わり、菩提寺の1つである南禅寺へ行くために永観堂を南に進みました。
午後の人出が多い時間帯ですが、平日でもこんな感じです。土日はもっとすごいんでしょうね。
なので、ゆっくり拝観したい場合に限っては、秋のこの時期は避けた方がいいかもしれません。
永観堂の名の元となった「永観律師」さん、「悲田梅」のエピソードが語るように、貧民にまで心を配る大変心優しい方だったようです。禅林寺という名前がありながら「永観堂」と呼ばれたのもうなずけますし、永観さんの慈悲の心がお寺に行きわたっているようにも思われました。
3.御朱印

「観阿弥陀如来」
三種類ほどあったかと思いますが、今回は阿弥陀さまの四十八願のお参りなので、迷わずこれにしました!
1体300円です。
4.阿弥陀如来の誓願
阿弥陀如来の誓願の26番目です。
成仏したなら、その国土の菩薩たちが金剛力士のような(強靱な)身体を得られるようにしたい、という願。
参考:新纂浄土宗辞典
5.禅林寺(永観堂)への道のり
*地図が見えにくい時は地図上をクリックしてください。
住所表記は「 京都市左京区永観堂町48」。
こちらも街中ではないので、「永観堂がある町」という町名で表現されています。
*道のりの詳細は永観堂サイトでどうぞ。
次は24番目、第二十七願の金剛寺です。
禅林寺(永観堂)の前はこちら。






コメント