7月の初めというのは、季節の流れから言うと「梅雨」の真っ最中ですね。しかしそんな時に「七夕」がやってくるので、毎年「雨が降りませんように」とお願いしていることに気が付きます。
織姫と彦星が一年に1回しか会えないのに、どうして梅雨の最中に七夕があるんだろうね?意地悪じゃない?
たしかにそやな笑 そやけど、ホンマはこんな梅雨の季節に七夕はなかったんえ。
え、そうなの?!雨の試練を与えられてるのかなって、ちょっと思ってたんだけど!
それ面白いなぁ笑 ほな京都ではいつ七夕するか説明しながら、七夕の時期を考えてみよか♪
今回はこれを読めば、
・明治以前の開催時期から今に変える基準が3つあったこと。
・京都の七夕の時期が今のようになった理由
がわかります。
明治時代に取られた3パターンのうち、京都はどれを取ったのか…?
それが「京都の七夕の時期」となったわけですが、京都特有の理由も後に書いていますので、是非最後までお読みいただきたいです。
1.あらためて「七夕」とは?
ではまず、簡単に「七夕」を説明してみましょう。
「七夕」とは「7月7日の夕方」という意味ですが、七夕行事は日本人なら誰でも知っている牽牛(彦星)と織姫がこの夜に会うという中国の説話から来ています。
それが奈良時代に日本に伝わり、もともと日本にあった棚機女(たなばたつめ)の禊行事(7日の夜織った布を神に供える)と混ざり合い、日本の七夕となりました。
紀元前から中国にあるお話をそのまま取り入れるのと違て、日本に元からあった古代の行事を入れるのが日本らしいなぁ♪
2.京都の七夕っていつ?
さて改めて考えてみたいのが七夕の日程です。これ、地方によって本当に行事の日がまちまちなんですよね。
全国的には新暦の7月7日が多いですけど、各地方では8月7日のところも結構あります。では京都はどうだったのか?明治時代にそれを決める選択肢(パターン)が3つあったので、まずはそれを説明しましょう。
京都の七夕もかなり複雑え~!この決め方も知ってたら役に立つと思う!
①明治以降、年中行事の日程は変えられた。
皆さんご存じのように、日本の暦は明治になって変えられましたよね。それにともない、昔の年中行事もいろんな変えられ方をしたのです。これは大きく分けて3つあります。
【大事】旧暦〇月△日の行事を今の開催日に変える方法3つ
番号 | 新暦での日設定 | 変更の方法 | 旧暦との時期のずれ方 | 長所・欠点 |
---|---|---|---|---|
1 | 新暦の〇月△日 | 旧暦月日の数値のまま | 約1か月早まる | わかりやすい・季節感ずれる |
2 | 新暦の〇+1月△日 | ひと月遅れにする | 大体同じ時期 | 季節はほぼ同じ・日は正確ではない |
3 | 旧暦〇月△日である新暦の日 | 旧暦の日のまま | ぴったり同じ日 | 毎年新暦の日が変わる |
どれかに決めることができなかったのはわかるけど、本当にややこしい決め方をしたものです。でも絶対知っておいた方がいい表なので、今後も年中行事について書く時はこれを出すことにしますね。
さてこれを、七夕(旧暦7月7日)に当てはめるとこんな感じですね。
番号 | 日 程 | 開催内容など |
---|---|---|
1 | 新暦7月7日 | 現在一般的に七夕が催される |
2 | 新暦8月7日 | 神社などの祭礼が行われる |
3 | 新暦8月10日* | 冷泉家での乞巧奠 |
②さて、京都の七夕はいつ?
1)答えは?
さあ、ではでは。
京都は、主にどれを採用しているでしょうか?
という質問です。
答えは
全部を含んだ7~8月
…と言っておきましょう。すみません笑
フワッとした答えにはわけがあります。現在、京都でも1が一般的なのですが、お寺や神社が多い京都では2がメインに見えたりします。なにしろ7月も8月も「七夕、七夕」って言っているような気がするからです。
2)「京の七夕」の影響
またここ10年ほどはそこに積み上げるように、行政も2にも合わせて行事を開催するようになってきています。
たとえば
「京の七夕」
というイベント。
7月の初旬から8月末まで京都市内のあちこちを会場としてイベントを行っています。これは行政の京都市だけでなく寺社や商店街など、京都市全体で盛り上がれる総合イベントになっています。
七夕とは直接関係ないものもありますが、七夕の日程が長期間に散らばっているのをうまく利用しているとも言えますね。
よって結果的に京都で「七夕」というと、7月も8月も、というイメージが出来上がりつつあるのです。
その上に実は、「8月の七夕を強く推し進めるのでは」という別の要素があるので、次章でご紹介しますね。
3.本当は七夕は旧暦でやるべき理由3つ
7~8月に行われている七夕行事ですが、私はやはり旧暦通りの時期の新暦8月(2のパターン)にやるべきだなと強く思っています。
お寺神社・行政・商店街ときて、結局私も旧暦推しで~す♪
それには3つの理由があります。
①お盆の準備の日という意味合いがある。
月遅れの七夕になる8月7日というと関西ではちょうどお盆前あたりになります。実は七夕というのは、中国から入ってきた七夕のいわれとはまた別に「七日盆」の意味合いがあるのです。
七日盆とは何かというと
7月7日をいう。この日に墓掃除・井戸替え・女の髪洗いなどをする。盆はじめ。
デジタル大辞泉
ということで、この日からお盆が始まり、準備をし始める日だったということなんですね。この流れから行くと、七夕はお盆の前にないといけないことになります。
②京都の特殊な事情がある。
1)関東と同じようにお盆を早められなかった。
関東は7月だけの七夕であり、お盆も7月にあります。七夕をお盆の準備とするならこれで日程が合い、関西でも新暦に合わせる前出の1で良かったはずです。
ただ、もちろん関西は旧暦の文化がまだまだ色濃く残っているという理由もありますが、京都にはそれに加えさらに7月移行を難しくしている理由があったと思われます。
2)祇園祭の存在
ここからは私の推測も入りますが、そんなに外れているとは思えないのでご紹介したいと思います。
それは祇園祭の存在でした。もしお盆を新暦の7月にすると、祇園祭を6月に持っていかざるを得なくなります。神事である祇園祭と同時進行でお盆の法事を行うわけにいかないからです。
祇園祭は旧暦の6月に行われていました。それは今の開催時期とあまり変わらない月日です。もしこれを新暦の6月に持って行くとどうなるでしょう。祇園祭は7月1日~31日に行われているので、1のやり方で決めるなら6月1日~30日となります。
すると山鉾巡行を梅雨のさなかに行うということになるのです。また、疫病を祓う祇園祭は、病が増える夏に行わないと神事をする意味が無くなってしまいます。
よって祇園祭はどうしても梅雨明けに巡行をし、真夏の7月末に災厄を祓う神事を締めくくらないといけないでしょう。
ということで、祇園祭の後に来るお盆は8月、お盆の締めくくりにある大文字送り火もそのあとで8月になりました。
それなら、本来であればお盆の準備の意味もある七夕も8月にあるべきでしょう。
③空を見上げればわかる理由
七夕は、祇園祭と同様の意味で梅雨の影響を極力避けたい理由があります。それは、牽牛と織姫が七夕の夜に会うと言われていることから、その夜晴れていることが大事だからです。
しかし一般的な七夕は、1の新暦で設定された日程。7月7日は例年梅雨の最中です。しかも梅雨明け間近の激しい雨がふる時期となって、なかなかすっきりした夜空を望むことができないですよね。冒頭のまなぶ君のように、「なんでこんな時期に七夕があるのかな?」って思いたくなります。
その点、月遅れの8月7日なら、雨の確率はガクンと減ります。本来はこのあたりの時期なんだから、当たり前なんですけどね^^
以上旧暦でやったほうがよい理由3点でした。もちろん今のやり方は否定してなくて、むしろ長い間楽しめていいなと思っています。言いたいのは、旧暦の七夕を忘れないでほしいなということなのです。
5.まとめ
・七夕とは
七夕行事は、日本人なら誰でも知っている牽牛(彦星)と織姫がこの夜に会うという中国の説話から来ています。それが奈良時代に日本に伝わり、もともと日本にあった棚機女(たなばたつめ)の禊行事(7日の夜織った布を神に供える)と混ざり合い、日本の七夕となりました。
・京都の七夕っていつ?
明治維新、旧暦から新暦に代わったのに伴い、日本の年中行事もそこに当てはまるように日程が変えられました。その方法は主に3種類。
京都の七夕はそこに当てはめると、そして行政や市内の企業・地域も加わった行事を行った結果、7月も8月もずっとやっているような行事になりました。
・本当は七夕は旧暦でやるべき理由3つ
・七夕には「七日盆」というお盆の準備という意味合いがあり、お盆と離れては行事の意味も薄れてしまうため。
・「祇園祭の存在」という、京都の特殊な事情があります。1のように新暦どおりにすると祇園祭を本来の時期にすると、それ以降にある京都のお盆行事は8月になってしまいます。七夕もまたしかり、ということです・
・梅雨の最中より本来の時期に近い8月の七夕は晴れやすく、牽牛と織姫が会える可能性が高くなります。
今回は京都の七夕の時期についてご紹介しました。京都の習わしに興味のある方のお役に立てれば嬉しいです!
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