七夕が近づいてくると、街中には笹飾りがたくさん見受けられるようになります。短冊などの笹飾りも重たそうに揺れています。
小さい頃に提灯とか折り紙で作ったの、懐かしいなぁ♪
江戸時代の人もおんなじように笹飾り付けたはったんえ。平安時代の名残もあるって知ってた?
実は笹飾りには昔の飾り物をルーツとするようなものがたくさんあります。笹飾りについて説明されているサイトも多いですが、こちらでは今の笹飾りを昔の記録や絵などと比較しながら「雅」で「美しかった」京都の七夕を解説したいと思います。
また、笹飾りの中身から、七夕とお盆の意外な関係がわかる部分があるので、そちらも説明しておきましょう。
これを読むと以下のようなことがわかります。
・今の飾り物のもとである平安時代や江戸時代のお供えから見る「雅な」また「美しい」京都の七夕行事。
・京都特有の笹飾りについて。
・七夕とお盆との関係を感じさせる笹飾り。
これを読み終わる頃には、笹飾りを見る目が変わってくるのではないでしょうか。
何百年も前の京都の美しい七夕風景が、目に浮かんでくるかもしれんえ♪
1.笹飾りから見える昔の風習
①現在の笹飾りと昔の飾り物・お供えの関係表
さてここでは、そんな七夕の昔の風習が潜んでいる笹飾りをご紹介しましょう。平安時代の乞巧奠(宮中で行われた七夕の儀式)のお供え物や、江戸時代の七夕の風習が笹飾りから見えてきます。
まずは一気に表で見てみましょう♪今の飾りが昔は何だったか?という比較表です。
番号 | 笹飾り | 昔の飾り・お供え物 |
---|---|---|
1 | 短冊 | 梶の葉 |
2 | 西瓜・ナス | 瓜類 |
3 | 吹き流し | 五色の糸 |
4 | 星 | 二星 |
5 | 提灯 | 本物の提灯 |
6 | 着物の形の紙 | 紙衣 → 七夕さん(別ページ) |
6の「紙衣」というのは、紙を着物の形に切り取った飾りのことです。以前はよく飾られていたかと思いますが、今はあまり見ません。これは京都に特有の形があり別記事で詳しく書いていますので、そちらも参考にしていただくといいかなと思います。
②笹飾りから見える昔の七夕の風習(平安時代)
現在笹飾りとして用いられているアイテムは、平安時代から江戸時代にかけて織姫・牽牛にお供えされたり、同様に笹飾りされていたものが簡略化されたものが多いです。
まずは平安時代、宮中の乞巧奠のお供え図を見ながら「上の図1~3(短冊・西瓜など・吹き流し)が昔の何を表しているか」について説明します。
食べ物の他には、お琴や琵琶などの楽器が供えられています。
「火舎」は香炉、「蓮房」は神泉苑から摘まれてきた蓮の花の房だそうです。
夜の行事なので、灯りも数多く置かれています。お供えの横で歌を詠み、音曲を聴きながら牽牛と織姫が出会うのを祈る、そんな宮中の様子が思い浮かんできそうですね。
では個別に、今の笹飾りがもとは何であったのか見ていきましょう。
1)短冊 → 梶の葉
梶の葉、見たことありますか?お茶を習っている方は夏になれば使うアイテムですが、他ではあまり見ませんよね。
この葉に歌や願い事を書きつけ、紙代わりとして使われていました。葉の表はつるつるして書きにくく、裏側に書いたようです。上の平安時代のお供え図にはありませんが、平家物語にはその様子が描かれているということです(京都通百科事典)。
実物ではないですが、こんな形をしている、ということで写真出しておきます。ちょっと変わった形をしてるんですよね。大きくえぐれた形になってるので書く部分が少ないように思いますが、真ん中の部分に短冊のように真っすぐ書いたのかもしれませんね。
2)西瓜 → 瓜
お供え図には「熟瓜」「茄(子)」と書かれています。今、西瓜となっているのは、瓜類の中で子どもたちが一番好きなものだからということでしょうか。
他にはお酒・大豆・アワビ・鯛などなかなか贅沢なお供え物が並んでいます。今、魚介類の飾りはないけれど、それを捕まえる「網」の飾りはありますよね♪
3)吹き流し → 糸
吹き流しは糸を表しているということです。宮廷行事では糸に針を通してお供えし、裁縫の上達を願ったそうです。
このお供え図には無いように見えますが、「針差楸葉」と書かれている部分がそれにあたります。「針を刺した楸の葉」であり、この針には五色の糸が通してあったとあります。
「楸」は「キササギ」「アカメガシワ」の古名と言われる広葉樹です。大きな面積の葉なので、梶の葉より針は刺しやすかったでしょう。
③笹飾りから見える昔の七夕の風習(江戸時代)
江戸時代になると、七夕の主役は子どもたちに移っていきました。でも大人もちゃんと行事には参加していることが以下の絵でもわかります。
では上の表の4~6(星・提灯・紙衣)について説明しましょう。
4)星 → 二星(文字)
星は今では星の形を飾りますが、昔は「二星」と書いて表現しました。「二」とはもちろん牽牛と織姫の2人のこと。この言い方は平安時代から変化はなかったようです。
これは「拾遺都名所圖會」にある七夕風景です。
梶の葉に「二星」と書かれています。しかしこの葉は本物ではないようですね。
梶の葉はまた別に紙に挟んで下げられています。願い事が書かれているのでしょう。
5)提灯 → 本物の提灯
今は折り紙で作られた提灯ですが、江戸時代には本物の提灯が付いていました。「絵本都草紙」の七夕笹飾りには大きな提灯が付いているように見えますが、大きさの比率が正しいとすると、子どもの頭ほどの提灯だったようですね。
夜にこの提灯に火が入り、笹を流しに鴨川に集まってきた様は天の川の星☆のようだったのではないでしょうか。さぞ美しかったことでしょうね。
沢山の飾りが付いていて重そうです。よく見ると二星の字や梶の葉も飾られてますね!梶の葉は現在も販売されている形と同じですよ~(詳細はこちらで)
6)着物の形の紙 → 紙衣(七夕さん)
この紙衣の「七夕さん」というのは、京都にのみ飾られていた着物型の笹飾りです。現在笹飾りとして付いているものはペラペラの紙ですが、「七夕さん」は美しい千代紙で作られた着物でした。
現代と昔の飾り物比較のところに出した「現在の笹飾りの絵」には描かれてない着物型の飾りですが、紙衣の「七夕さん」は京都にしかないものなので、是非京都通のレアネタとして知っていただけたらと思います!(↑梶の葉のことも書いています)
2.七夕とお盆の関係を感じさせるもの
平安時代には、雲圖抄の図のように瓜・ナス・桃・梨などの食べ物のお供えもされましたし、笹飾りの中にも「西瓜・ナス」の形で表されています。
昔は旧暦でされていた七夕は8月に行われていました。七夕が旧暦で茄子も今は年柄年中あるけれど、昔は夏しか穫れませんでした。桃や梨は夏の終わりに出てきますよね。
これらを見ていると、七夕の時期はまさに旧暦のお盆の時期でしたし、七夕のお供えはお盆のお供えとそっくりです。そうそう、西瓜もお仏壇にお供えしますね。七夕はお盆の時期に行われたということがよくわかる例だと思います。実は七夕はお盆の準備の行事だと言われているので、お盆に関わりがあるというのは自然なことだったと言えます。
また別記事で、この「七夕がいつ行われていたか」「京都はいつすることにしたのか」、ということについて詳しく書いていますので合わせて読んでいただきたいです!
3.まとめ
ここでは、「笹飾りから見える昔の風習」と「七夕・お盆の関係」を説明しました。
・笹飾りから見える昔の風習
現在の笹飾りと昔の飾り物・お供えの関係表を作り、今の笹飾りが昔の七夕行事とどのように関わっているのかを調べてみました。
平安時代と江戸時代の七夕の風習が今の笹飾りに残っているようすをご紹介しました。
短冊は「梶の葉」、吹き流しは「糸」、星は文字で「二星」と書くことなど、笹飾りを調べてみると思わぬ奥深い七夕の文化を垣間見ることができることがわかります。
また、最後の「紙衣・七夕さん」は京都特有の笹飾りで、別ページに詳しくまとめたのでそちらも是非読んでいただきたいです。
・七夕とお盆の関係を感じさせるもの
笹飾りには旧暦で行われていた名残の野菜や果物が下げられます。これは七夕が8月に行われていた証しであり、お盆にも同じようなお供えをしていることから、七夕には色濃くお盆を感じさせるものがあります。実際、七夕はお盆の準備行事だったと言われています。
今回は、笹飾りの中に見る昔の風習についてご紹介しました。京都の習わしに興味のある方のお役に立てれば嬉しいです!
参考文献:古事類苑(歳時部)・季節を祝う京のご節句「七夕」・京都通百科事典「七夕」
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