時代祭はどんなお祭?~京都人が涙した歴史から探る~

年中行事
京都御苑を出発!

「時代祭」は京都の3大祭の1つでよく知られたお祭ですが、歴史など詳しい内容を教えて、と言われたら言葉に詰まる方も多いのではないでしょうか。実はこのお祭は、明治維新の京都人が悲しみの中からわが町京都のために立ち上がり、作られていったお祭なのです。

ここでは、そんな時代祭の歴史を語りながら、みなさんが印象的にこのお祭を語れるような情報をお伝えしたいと思います。

まなぶ君:え~そんな悲しいお話があるの?

あや:京都人が涙なみだの思いを乗り越えて作ったお祭でもあるのん。

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時代祭はどんなお祭?

まずは簡単に時代祭についてお話しましょう。

時代祭は意外と新しいお祭

時代祭は京都三大祭の1つですが、明治28年(1895年)に平安遷都千百年紀念祭の奉祝行事として始まった意外と新しいお祭なのです。
葵祭や祇園祭は1000年以上前からに比べたらずいぶん遅く始まりましたよね。

そして翌年の明治29年から平安神宮の祭礼となっています。平安神宮には、平安京に都を遷した桓武天皇と、平安京の最後の天皇・孝明天皇が祀られています。
時代祭が行われている10月22日は平安京に遷都された日なんですよ!

平安神宮のお祭であり京都市民のお祭でもある。

お祭が始まったとき、資金や人員を得るために京都市民で構成する「平安講社」という団体が作られ、時代祭は「京都市民のお祭」となりました。これは現在も時代祭を運営する中心となっています。

平安講社は地域別に11社に分かれ、その1社の中は複数の学区で構成されています。また、他には京都市内にある花街の組合や京都青年会議所や各団体も参列しています。

詳しい列の分担など詳細は、こちらで説明しています。

時代祭は誰が運営しているの?自分も出ることができるの?
時代祭はどういう人たちがやってるのかな、って思ったことありませんか?きれいな衣装を身にまとって、自分も出てみたいと思う方もいるかもしれませんね。ここでは時代祭の運営主や運営方法について、また、出る方法があるのかお伝えします。

時代祭ができたわけ

明治維新に京都人は涙した

なぜ明治に入ってからこのようなお祭ができたのか、それには京都ならではの深い理由がありました。

明治天皇が東京に行幸されたとき(京都人はこれを決して「遷都」とは言わないw)、京都の人たちはまさか「もうこれで天皇さんが帰って来やはらへん」とは思いませんでした。

しかし待てど暮らせど還幸はありません。京都の人は御所の周りを回って「お千度参り」をしました。

お千度参りていうのは、普通は京都の各町内の人が神社に行って「町内安全」を願い拝殿などの周りを回る風習を言いますが、ここでは天皇さんのお帰りを願うために「御所」の周りを回らはったそうです。

「はよ帰って来とおくりゃす」

各町内、各町組の人たちが交代で延々と回っていたのですが、天皇さんはついに戻って来られることはなかったのです。京都の人たちはさぞ落胆したと思います。

ただ、明治天皇や政府も京都の人たちを思いやってか、「遷都」を宣言されることはありませんでした。なので正確に言うと「遷都」ではなく都を新たに定め二都が立ち並ぶ「奠都」となります。今も京都の人が「都が移ったわけやない」と言うのは、ここに根拠があります。

しかし明治天皇に付いていった人も多く、お公家さんは留守番を頼まれた冷泉家の方以外はほとんど東行されました。

また、和菓子のとらやさんのように禁裏御用達と言われたお店も動き、日本の中心が移ったと感じた人たちはどんどん京都から抜けていき、京都は穴だらけになりました。御所の周りも廃墟となったのです。なんと、今の京都御苑の地域や二条城も売りに出されたと聞いています。

この大政奉還の翌年,我が国は明治に改元し,近代国家への歩みを踏み出しました。しかし,京都にとっては困難な時代の幕開けでした。当時,京都は,明治維新で都の地位を失い,人口の3分の1が減少,約34万人から約23万人となる深刻な人口減少に直面しました。

―門川京都市長記者会見(2017年8月31日)―

立ち上がった京都人!

都がもぬけの殻となり、すっかりさびれてしまった京都。京都人は悲しみと不安の中にいましたが、いつまでも下を向いてはいませんでした。

まず、明治2年には日本で初めての小学校を各地域で作り、今も残る「学区」が生まれました。そして明治23年には第一琵琶湖疎水が開通、その水を使った蹴上発電所も完成しました。

さらに明治28年の遷都千百年紀年事業の年には、発電所の電気を利用した京都市電が誕生し、「日本初」の連続により、京都の経済が復活してきました。そういったところで、同じ年に時代祭が行われ、沈んでいた京都を盛り上げたのです!

まとめ

1.時代祭はどんなお祭?

時代祭は明治28年(1895年)に平安遷都千百年紀念祭の奉祝行事として始まった新しいお祭です。そして翌年の明治29年から平安神宮の祭礼となりました。時代祭が行われている10月22日は平安京に遷都された日です。

「平安講社」という京都市民による団体が作られ、今も時代祭を運営しています。なので「京都市民のお祭」といえます。

2.時代祭ができたわけ

東京に行ってしまった天皇さんに帰ってきてほしくて、京都の人は御所の周りを回って祈りましたが、ついにその願いはかなわず、皆落胆して涙しました。

しかしさびれてしまった京都を盛り上げるため、京都の人たちは立ち上がりました。日本初の小学校・疎水・水力発電所・市電などを次々と作り、平安京遷都千百年紀念事業として時代祭を始めたのです。

以上が時代祭の概要とできた理由でした。そんなことも考えながらしみじみと時代祭の行列を見ていただけたら嬉しいです!

見どころやテーマを絞った見方を知りたい方はこちらへ♪

時代祭の行列の見どころ、そしてどんな見方をすればいいかお伝えします。
10月22日に行われる時代祭、皆さんの中には長~い行列をみて、「これは全部見てられない」って思う方がいるかもしれませんね。そんな人のために、当日疲れずに効率的に見られるよう、「時代祭の見どころ」と「テーマを決めた見方」をお伝えします。
この記事を書いた人
あや

ご先祖さんより京都・上京区に300年以上居住しています。細かな習わし事まで続けてきた先祖の行いを受け継いで、私も京都の年中行事やお祭が大好きです。京都に住んでいる方・京都が好きな方に、知って役に立つ、また他所では教えてもらえない京都情報をお伝えします。

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