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時代祭全行列を京都人なりのコメントを入れながら説明します。

年中行事
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時代祭を見ていると、長い行列の中にたくさんのグループがありますね。どんな列があるのか、全部わかりますか?

まなぶ君:行列が長くてたくさんあるから全部はわからないなぁ。

あや:京都の人でも全部知ってる人は少ないやろねぇ。そやけど、一応どんなものがあるのか知っておくと便利やと思うよ♪

まなぶ君:そっか~わからずに見てたら損だよね!ざっと見ておこうかな♪

このサイトでは京都に先祖から300年以上住み続けている「あや」が、「ほんまもんの京都」「知ってると得する情報」「京都人でもほとんど知らないトリビア的情報」をお伝えしています。どんどん増やしていきますので、ぜひブックマークよろしくお願いします!

行列はどんな内容?

行列には20のグループがあり、京都御所から平安神宮を目指して歩きます。

グループは明治維新から平安時代の順番に並んでいます。進むにつれだんだん古い時代へ移っていき、最後は平安時代の、平安京ができた頃で終わります。

第一回は古い時代から新しい時代に並んでいたそうですよ。

ここでは行列の全列について簡単に説明しますが、各時代に京都人なりの偏見も含んだ他では書かれていない情報もあるので是非最後までお読みください!

<全列の名前> → 長いので、時間のない方はお好きなところに飛んで読んでくださいね♪
 明治維新   維新勤皇隊列  → 維新志士列
 江戸時代  徳川城使上洛列 → 江戸時代婦人列
 安土桃山時代  豊公参朝列   → 織田公上洛列
 室町時代   室町幕府執政列 → 室町洛中風俗列 → 楠公上洛列 
 → 中世婦人列
 鎌倉時代  城南流鏑馬列
 平安時代  藤原公卿参朝列 → 平安時代婦人列 → 延暦武官行進列 
 → 延暦文官参朝列
 神幸列部分 
 神饌講社列 → 前列 → 神幸列 → 白川女献花列 
 → 弓箭(きゅうせん)組列

(写真が少なくてごめんなさい!今年のをあとで入れます。でも情報はレアです!)

0)列の前

まずは行政の長、京都府知事・京都市長・京都市会正副議長

そして時代祭を支えている方々、時代祭協賛会会長・京都紹介会議所会頭

時代祭旗・総奉行 と続きます。

京都市長はお祭参加が非常に多いです →祇園祭も御奉行役で出ておられます。
なので京都市は政教分離とかあってないようなもんですかねwww いやいや、あくまで市民パレードのトップという位置づけになってます(^^)

1)維新勤皇隊列

丹波国北桑田郡山国村(現京都市右京区京北)に住む人たちが山国隊として参加したのが最初です。山国隊はこの地域の人たちが幕末に結成した農民の兵隊で、官軍に入り戊辰戦争で戦ったことから列に加わりました。この地域は平安京を作ったとき木材を供給したという伝承もあり、とても皇室と関わりの深いところです。

現在は山国隊ではなく、平安講社の第8社(中京区朱雀第一~第八学区)の人たちが行進しています。

2)維新志士列

明治維新で活躍した人物が並んでいます。
桂小五郎から西郷吉之助(隆盛)、坂本龍馬など、皆さんがご存じの人物が参列しています。武士ではない人たちもいて、七卿落ちと言われる7人の公卿も含まれています。写真は近衞忠熈さん。

そやけど、京都市民としたら、京都をボロボロにして東京に行かはった人たちやし、ちょっと複雑なんやけど…それに、西郷隆盛さんより息子の西郷菊次郎さんのほうが京都にご縁が深いの(第2代京都市長なん)、知ったはる?「知名度」なんやろけどねぇ…

3)徳川城使上洛列

朝廷の特別な儀式のときに、徳川幕府から使者が行列をなして上洛したもようを映しています。「天下人」の家康の姿を現さなかった設定は、幕府が京都にはなかったからですかね。江戸の空気を入れすぎない演出なのでしょう。

4)江戸時代婦人列

和宮さん、太田垣連月、中村内蔵助の妻、玉蘭、梶、吉野大夫、出雲阿国と江戸時代の有名な女性が並びます。

中村内蔵助さん、知ってます?富豪ということですが、奥さんはなかなか粋な人のようです。それはこちら(見どころ)でご説明しますね。

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5)豊公参朝列

豊臣家が朝廷のもとへ参内したなかで、最もすごい行列は秀吉ではなく秀頼の初めての参内と元服の参内だったそうです。

この時は「一日晴れ」として規則以外に派手にしてよいと許された日だったそうなので、お付きの人たちのいでたちも綺麗です。秀吉は牛車に乗っている設定なので、姿が見えたらさぞ絢爛豪華な衣装だったでしょうが、ここでも「天下人」でありながらどこにも見えません…

6)織田公上洛列

信長が上洛したときの様子が表されています。信長は姿が見えますね。上京区に住む私としては、上京の焼き討ちをしている信長だけ出てるのはどうかなぁと思うのですが…でも、明治維新には信長を祭神にした「建勲神社」ができてますから、信長の明治時代の評価は高かったんでしょうね。信長前の列にいなかった秀吉も、「羽柴」秀吉の姿で馬に乗り登場しています。でもやっぱり、秀吉の扱いがちょっと軽いなぁと思ってしまいます。

織田信長。私の技術が未熟で残念な写真に…m(_ _)m

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7)室町幕府執政列

平成19年に加わった列です。足利将軍と書かれていますが、どの将軍なのかわかりません。ここでおおざっぱな感じがするのには理由があります。

足利家は後醍醐天皇を隠岐の島へ流罪とし、特に義満は明から「日本国王」の称号をもらっていたりしたために、逆賊の扱いをされていた室町幕府の列は長く設けられませんでした。新設されても固有名詞までは出されないのは仕方ないのかもしれません。

8)室町洛中風俗列

これも平成19年に加わったのですが、こちらは入ってよかったなぁと思える列です。
中世の芸能がよくわかる列であり、古代と近世をつなぐ重要な文化ですよね。

有料観覧席の前では大きな傘がくるくる動き、鉦(かね)・笛・太鼓の演奏に合わせて棒振りが踊ります。

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9)楠公上洛列

これと次の中世婦人列は「吉野時代」といわれる南北朝時代となります。
天皇を祀ってある平安神宮のお祭としては皇統が「南北」に分かれているという表現は避けたのかもしれないですね。

「楠公」というのは後醍醐天皇の忠臣、楠木正成のことです。戦前は楠木正成の忠臣ぶりを学校で習ったということなので、一つの列にするほど重要視されているようです。後醍醐天皇が隠岐より戻られるときに先陣を務め、京まで警護したということで、その様子を表しています。

10)中世婦人列

淀君・藤原為家の室(阿仏尼)・静御前・大原女・桂女(かつらめ)の列です。

淀君などは、当時位が高い人ですから輿にでも乗るのかと思ったら、みなさん徒歩で巡行されてます。それにしても正室の「ねね」がいませんね。秀吉もですが、当時の歴史上人物の見方が反映されているように思います。

大原女(柴売り)・白川女(花売り)は有名ですが、京都には桂女というのもあり、桂特産の飴や鮎を売りに街に出ていたそうです。

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11)城南流鏑馬列

勇壮な流鏑馬を行う時のいでたちです。これは鎌倉時代ですが、源頼朝はじめ鎌倉幕府の将軍や鎌倉幕府の武将は一切出てません。もちろん京都に幕府がなかったというのもあるでしょうが、なんといっても後鳥羽上皇や後醍醐天皇を隠岐に流すということをしているので、この先も加えられることは無いのかもしれません。

12)藤原公卿参朝列

ここから平安時代です。このころ栄えた藤原氏の様子を表現しています。ここでは夏服を着ているそうです。ここを含め、他の時代の装束ももちろんすべて本物、昔から伝えられている西陣織の技術で作られています。

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13)平安時代婦人列

平安時代に今も名を知られる女性たちの列です。京都の花街の芸舞妓さんが扮しています。みなさんとっても美しいです!装束も素晴らしいので是非見ていただきたい列です。

巴御前・横笛・常盤御前・紫式部・清少納言・紀貫之の女・小野小町・和家広虫・百済王明信の列です。

常盤御前は源義経のお母さんです。義経は子どものころの「牛若」として出てますね。朝廷に逆らった鎌倉幕府の武将という扱いではないのでOKなんでしょうね。

紫式部と清少納言が同じ輿に乗っていますが、これが本当の2人なら、さぞかしきまり悪いだろうなぁとつい思ってしまいますw

14)延暦武官行進列

「延暦」というのは平安京が建てられた時の年号です。まさに平安京の最初にいた武官たちの衣装で行進しています。鎧が古い形式のもので、平安時代のいにしえを感じさせますね。鎧も傷んでくれば京都で直せます。補修の技術もまた毎年話題になるのです。

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15)延暦文官参朝列

同じく延暦年間の文官の列です。全部の列の中で最も位の高い三位(さんみ)の官人が紫の衣装を着て馬で行進しています。この方が平安神宮で全行列を代表して祭文を奏上(読み上げ)ます。

16)神饌講社列

神饌(神様に献上する食事)を奉じる人たちの列です。京都料理組合の方たちのご奉仕です。京料理で大変名高いお店の方たちがこの日のために神饌を作ります。

京都料理組合は「神饌講社」を組織し時代祭の行列に参加、京都御所の行在所(あんざいしょ)といわれる場所に魚、塩、餅、鯛、野菜、果物、山の物、海の物など十数種類の食べ物を供えます。ー京都料理組合公式ページよりー

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17)前列

何の前列かというと、このお祭の一番重要な神幸列の前、という意味です。
迦陵頻(かりょうびん)・胡蝶の舞人・雅楽の伶人(演奏する人)など、鮮やかな雅楽の衣装を見ることができます。迦陵頻は雅楽の曲の1つで、子供が舞うところからここでも衣装を着けているのは小さなお子さんです。かわいいですよ!

18)神幸列

平安神宮の神幸祭であることを認識できる神幸列です。2つのご鳳輦が並び、前は孝明天皇、後ろは桓武天皇が祀られています。最後の方なので、ご覧になる方が少なくなるのは残念ですが、時代祭で最も大事な列なのです。

他の神社では神様はお神輿に乗られますが、こちらではご鳳輦となります。「氏子区域」である京都市内を巡ってご覧になる、という図です。

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19)白川女献花列

神前に供える花を白川女の方たちが頭に乗せています。
白川女は平安時代から御所に花を届けていたそうです。

20)弓箭(きゅうせん)組列

この地域に住む人たちは、桓武天皇が平安京に遷ってきたときに警護をしたということで、大変古い歴史を持っています。また、明治維新には山国隊とともに東北鎮護で活躍したそうです。

行列の最初には山国隊、最後にはこの弓箭組で締めるというのも意味があることなんですね。

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まとめ

1.時代祭はどんなお祭か?

時代祭は意外と新しいお祭です。京都三大祭の1つで、明治28年(1895年)に平安
遷都千百年紀念祭の奉祝行事として始まりました。

そして、平安神宮のお祭であり京都市民のお祭でもあります。お祭が始まったと
き、資金や人員を得るために京都市民で構成する「平安講社」という団体が作られました。

2.行列はどんな内容?

行列には20のグループがあり、京都御所から平安神宮を進みます。

維新勤皇隊列 → 維新志士列 → 徳川城使上洛列 → 江戸時代婦人列
→ 豊公参朝列 → 織田公上洛列 → 室町幕府執政列 → 室町洛中風俗列
→ 楠公上洛列 → 中世婦人列 →城南流鏑馬列 → 藤原公卿参朝列
→ 平安時代婦人列 → 延暦武官行進列 → 延暦文官参朝列 → 神饌講社列
→ 前列 → 神幸列 → 白川女献花列 → 弓箭(きゅうせん)組列

見どころを知りたい方はこちらへ!
https://honmamonkyoto.com/jidaimatsuri-midokoro-122

この記事を書いた人
あや

ご先祖さんより京都・上京区に300年以上居住しています。細かな習わし事まで続けてきた先祖の行いを受け継いで、私も京都の年中行事やお祭が大好きです。京都に住んでいる方・京都が好きな方に、知って役に立つ、また他所では教えてもらえない京都情報をお伝えします。

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