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洛陽四十八願所 第四願 東光寺 ~太閤さんの念持仏~

四十八願第4願 東光寺 アイキャッチ画像 寺院・神社
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「洛陽四十八願所」の第四願は「東光寺」です。第三願の浄篤院から見ると北西方向にあり、10分ぐらい歩いたところでしょうか。大将軍八神社に近く、北野天満宮の南西です。

巡礼「洛陽四十八願所」について知りたい方はこちらでどうぞ。

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1.第四願 東光寺について

<第四願 東光寺>

宗 派  浄土宗
寺院名  竹谷山 東光寺
所在地  〒602-8377 京都市上京区御前通一条下ル東竪町145
本 尊  阿弥陀如来
御朱印  無し
サイト等 無し

①歴史

1)東光寺の始まり

「東光寺」を検索すると、一番多く出てくるのが「東福寺」の塔頭である「東光寺」。しかし今回伺った東光寺も由緒は古く、安土桃山時代から諸大名や歴史上有名な人物との関わりもあるお寺なのです。

ネットでも東光寺さんについて書かれているものを散見しますが、今回お参りした折にご住職からいただいたお寺の会報「東光寺だより」が一番情報としては確かかと思いましたので、こちらを参考に解説したいと思います。

東光寺は寛永6年(1629年)に開かれた浄土宗・知恩院に所属するお寺です。開山は正蓮社法誉玄鸞上人となっています。

東光寺には当時の資料は無いのですが、東京芝の増上寺の資料には東光寺の始まりについてや開山が玄鸞上人であること、上人が若狭国の生まれであること・没年などがちゃんと記述されているそうです。

2)さらに歴史がさかのぼれるのか…?

また興味深い資料としては、出版物での初出である「雍州府志ようしゅうふし」(貞享元年・1684年出版)で、そこには

始め葛野郡双ノ丘法金剛院中にあり中世此に移す。

と書かれているそうです。また、「拾遺都名所図会」天明7年(1787年)には

京極西方寺の法誉(=玄鸞)上人此寺に来て中興し給ふ

他に資料が無く調べることはできないようなのですが、「ひょっとしたら歴史はもっと古いかも」と思わせるような記述が面白いと思っています!

②寺宝など

1)ご本尊「戦場勝手如来」

寺宝としては、やはりご本尊の阿弥陀如来さんが一番です。「戦場勝手如来」と言われ、あの豊臣秀吉の念持仏と伝わっています。前出の「拾遺都名所図会」には「安阿弥(快慶)の作」と書かれています。

「戦場勝手如来」という不思議な名前は、秀吉が朝鮮出兵の折拠点としていた名護屋城へ、秀吉の愛妾・松丸まつのまる殿とともにこの阿弥陀様を伴われた、ということからだとか。その証に、阿弥陀様の厨子には背負って運ぶための金具と縄の跡が残っているとのことです。背負ってまで持って行く、というなんとも篤い信仰心ですね♪

そしてこの仏様を東光寺へ寄進されたのは松丸殿です。前出の「雍州府志」によると、生前に玄鸞上人のもとに帰依されており、松丸殿が亡くなった時に寄進することを約束されたのでした。

松丸殿とは?

京極龍子は、戦国武将・京極高吉の娘として生まれました。母親は浅井長政の姉で、淀君とはいとこ同士の関係となります。最初若狭国の武田元明と結婚しましたが明智光秀の味方になったため、夫・元明は討ち死に、元明との子ども2人も命を奪われたのでした。その後秀吉の側室となり、夏の陣の後処刑された秀頼の子国松を引き取り菩提を弔ったとのことです。

では、松丸殿は玄鸞上人とどのようなご縁があったのでしょうか?「東光寺だより」には、

・玄鸞上人の生国も松丸殿の子育ての場・実家の領国と同じ若狭国であったこと
・松丸殿が整備に尽力した誓願寺が玄鸞上人の宗教活動の原点であったこと

であると、ご住職のお考えが書かれていました。たしかにこれだけのご縁があればこその御寄進ですよね。

自らも歴史に翻弄され、わが子や秀頼の子・国松の菩提を弔いながら生きた松丸殿。おそらく玄鸞上人は、そんな悲しみを胸に秘めた松丸殿と思いを共有し、誓願寺でご縁を結ばれたのでしょう。

私には、おふたりの信仰の形がこの「戦場勝手如来」の阿弥陀様にたどり着いたのだと思えました。

松丸殿と若狭国の関係

松丸殿は先夫の武田元明が若狭国守護大名であり、一度は領地を取られたものの、後にまた信長より若狭国内の領国を与えられます。そして関ケ原の戦い後、今度は実家の高極高次が若狭国小浜に領国を与えられ、生涯にわたり若狭に深い縁を持つこととなったのでした。

2)秀吉公と松丸殿の厨子入りお位牌

ご本尊のそばには、秀吉公と松丸殿の菩提を弔う厨子入りのお位牌があるそうです。こちらも素晴らしい寺宝ですね。お二人ともご念持仏のおそばで数百年もおられると思うと、しみじみと歴史の長さを感じるのでした。

本山級ではないお寺でも、立派な仏様がたくさんおられるのが京都の寺院。京都のお寺には、あらゆるところに宝物があるのです♪

あや
あや

そう言うたら、前の浄篤院の阿弥陀さんも源義経の念持仏やった。ええ仏さんホンマに多いなぁ

2.いざお参り!

①入り口に四十八願の碑が!

門は御前通からは少し入り込んだところにありますが、一番最初に目につくのがこの石碑です。

東光寺 門の外の碑

最初お電話をした時は四十八願の巡礼についてご存じの無い方が出られたので、一瞬間違えたかと思ったのですが…

お寺の表には四十八願の石碑がありました。「四拾八」の文字からしても、かなり前に作られた日のようです。

でも四十八願でお参りに来る人も、ひょっとしたら100年以上無いのかもしれません。ご存じなくても仕方ありません。

四十八願というのは、もうすでにお寺さんも意識の外にある巡礼なのでしょうね。。

②さぁお参りできるのか…?

「ホトカミ」という有名な寺社参拝情報サイトがあり、それを参照するとお参りできるように書かれていたのですが、残念ながら現在は拝観ができないようです。

とりあえずは参拝の目的を説明し、私の札書きをお渡ししました。ご住職様からは歴史やご本尊様の由来が書かれた「東光寺だより」を頂戴いたしました。

参拝の可否はともかく、札書きを渡すことが大きな目的ということで、それを達成できたのでこれでよしとしました。

お参り時の注意点

・観光客の多い寺院でない家族でお守りされているお寺は、出入り自由のイベント以外では必ずお電話で許可を得てください。
御朱印をいただく仏様を必ずお参りください。
・境内の写真はお寺さんに許可をいただいてから撮ってください(仏像は信仰対象なので撮影不可が多いです)。

3.御朱印

拝観をされていないということで、当然御朱印はありません。

しかし、上記のように応対はしてくださったので満足でした!

4.その他 特記事項

阿弥陀如来の誓願の4番目です。

第四願 「無有好醜むうこうしゅう

自らが成仏した国土(極楽世界)の人間や天人の容姿が均一であり麗しい者と醜い者の違いがないようにしたいという願。

参考:新纂浄土宗辞典

5.東光寺への道のり

*地図が見えにくい時は地図上をクリックしてください。

住所表記は「京都市上京区御前通一条下ル東竪町145」。

お寺は御前通に面していて、一条通から「下ル」→南に行く、ということです。地図上に通り名が見えないときは、少し拡大してみてください。

このあたりは西寺町にしてらまちとも言われる七本松通も近く、東光寺が面している御前通にも多くのお寺が並んでいます。七本松通のお寺散策や、白梅町スーパーイズミヤの東にある「五色八重散椿」で有名な地蔵院椿寺など有名寺院もあります。方除けの神様、大将軍八神社もありますね♪簡単にお参りできるところもあるので、その通過点としてお寺の前を通ってみるのも良いかもしれません。

あや
あや

上京区内やし、またいつか拝観できたらええなぁと思てます。


次は5番目、第五願の西方尼寺です。こちらは年一回の拝観可能な日(12月1日の北野大茶会)まで待つ予定です。

西方尼寺>

東光寺の前はこちら

あや

ご先祖さんより京都・上京区に300年以上居住しています。細かな習わし事まで続けてきた先祖の行いを受け継いで、私も京都の年中行事やお祭が大好きです。京都に住んでいる方・京都が好きな方に、知って役に立つ、また他所では教えてもらえない京都情報をお伝えします。

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