節分がくると、何らかの行事をされるお家も少なくないと思いますが、昔はいろんな習わしがありました。節分と聞いてまずは豆まき、というところですが、小さいお子さんがおられるお家以外は、最近されているところは少ないように思います。
最近の節分の行事としては、恵方巻のまるかぶりをされるところが増えてきましたね。それについての考察を書いていますので、そちらも読んでくださいね♪
しかし節分の行事は豆まきや恵方巻だけではありません。そこで今回こちらでは、「今は見なくなった古い習わし」2つをご紹介します。
1つ目は「ひいらぎいわし」、2つ目は「四辻に豆を置いてくる」。これらは結構面白いことをするのですが、続けづらい理由もあるように思えるので、そのあたり考察してみたいと思います。
1.ひいらぎいわし
①どんな習わし?
その名の通り、柊と鰯を使う習わしです。柊の枝に焼いたイワシの頭を刺して玄関に飾っておく、という風習です。今も行っているお家は結構あるのかもしれませんが、今の京都ではほとんど見かけません。
②続けにくい理由その1:姿が怖い?
柊の葉にはとげとげがあり、そのとげと鰯の頭の焦げた臭いで鬼を撃退させるというもので、一応うちもやってます。どんなものかというと…
インパクトありますよね!
昔からあるものとはいえ、たしかにイワシを頭だけ枝に刺すというのは衝撃的です。
う~ん、見て怖いっていうのは鬼退治には必要なんでしょうが、玄関に飾って「これで大丈夫」という気持ちより怖さが勝つとしたら、進んではやりづらいかと思ってしまいます。
③続けにくい理由その2:柊が手に入りにくい!
また、この柊を置いているスーパーも減ってきました。以前はどこへ行ってもイワシの横にサービスで置いてあったのですが…柊が無ければ続けようがありません。
今年、イワシを買ったスーパーに、昨年はあった柊が置かれてなかったので店員さんに尋ねてみました。
イワシのとこに柊があらへんのやけど。
去年はあったけど、もうやめやはったん?
え?「ヒイラギ」? それ、何ですか?
・・・(汗)
節分に柊が必要なんて全員知っているわけもなく、ましてや若い人にそれを求めるのは無理。しかし今回は「ヒイラギ」そのものを知らなかったようで…
私もそのあたりは理解しつつ、次のスーパーへ移動しました。そしたら柊はあったのですが…
値段が付いてました。いや仕方ないです。スーパーもお商売ですから。あっただけでも有難いと思わねば…
しかし、柊をゲットするのにこんなに手間をかけていたら、やる気がなくなってくるのも仕方ないように思えます。
④おまけ:鬼を撃退する前に猫やカラスが持っていく?
また、これを下の方に飾ると、次の朝にはイワシが無くなってることもあります。どうやら近所の野良猫やカラスが奪っていくようです。鬼を防ごうとしているイワシがすぐに餌になってしまっては意味がないですよね!
以上、私が考える「続けづらく、すたれてきている大きな理由」としては、
・姿が怖いこと
・柊が手に入りにくいこと
があるのではと考えています。
また、猫やカラスが来る原因を作りたくないですよね!
2.豆を四辻に置いてくる。
①どんな習わし?
もう一つの習わしは、年の数だけ半紙に包み、夜中に四辻に置いてくる、というものです。そして豆を置いたら後ろを向かず一目散に家に帰ってこなくてはいけません。
ちょっと変わったこの習わし、豆まき自体は室町時代ごろからあったようですが、四辻に置いてくるものとしては江戸時代から、という記述が多いようです。
京都にあったのかどうか、資料からは確定しにくいのですが、京菓子の某老舗のご主人が「うちは昔からずっとやってたし、みんなやるものだった。」とおっしゃっていたので、全くゼロではなかったとは言えそうです。
うちは後ろにポンと放り投げる習わしだけで、これはやったことあらへんなぁ。
私の家でやっている古い習わしはこちらでどうぞ♪
②褌(ふんどし)を落とす?!
またこの習わしは、京都だけでなく全国にあります。京都から伝わったからなのかもしれませんが、西日本の方が多いようですね。
調べてみたかぎりでは山口・高知・愛媛などにあり、愛媛では今でも豆に小銭を一緒に入れたり、履物まで置いてきたりもしているそうです…とそこまで見て、目がテンになる記述を発見!なんと、締めていた褌まで豆と一緒に落として帰るという、ビックリな風習もあったようです!
右下帯をむすひ、平生のことく衣類を着、二時して夜の四ツ時に四ツ辻江行き、左の歌を明き方へ向ひ合掌して三遍唱へて、彼之むすひ居る下帯(=褌)を落し、少も跡を見すして帰る也
伊予史談会双書21『古今記聞』41頁 (サイト:愛媛の伝承文化「厄落としと褌」より)
さすがに今は、褌はもうないやろと思うけど…(汗)
履物も褌も身に着けるものですが、褌はちょっと過激すぎるような…しかも直前まで身に着けていたものを落としてくるとは!いやちょっとまて、男性はいいけど、女性はどうしてたの(そこ?笑)?!
③続けにくい理由:豆の掃除が大変!
では、この「豆を四辻に置いてくる」のが続けにくくなっている理由を考えてみましょう。
褌はさておいて、この豆を四辻に置いてくる習わしはいくつかの地方では残っているものの、現代の京都ではほぼ見ません。京都でも、もともとはあった習わしに違いないのですが、街中の四辻に豆があったのを見たことないです。
この習わしが廃れてきた理由として考えられることは何でしょうか。その理由を考えてみると町の清掃に関わっていると強く思っています。
京都の街中では、今でも広く「門掃き」の習慣が残っていて、朝になると多くの人が「かど=玄関先」の掃除をします。その場合、自分の家の前だけでなく、通りにゴミがあれば処分します。
節分の翌日も同じく、豆がまかれていたら掃除をすることになります。その時、夜中に豆が置かれていたら翌朝掃除をしなければいけません。しかも公共の通りの四辻です。都市の中心部は狭い道でも人だけでなく車も朝早くから通りますから、きっと豆も潰れて散乱していることでしょう。迷惑ですよねぇ。
自分とこの家でまいた豆ですら、掃除するのがいやで豆まきするお家が減ってるのに、なんで道の真ん中にある、それも厄のついた豆さんまで掃除せなあかんのん、てなるわなぁ。
昔は砂利道や土のままの道だったので、豆が何個か転がっていてもそのうち土になりましたが、今はそうはいきません。ましてや履物やふんどしまで落ちてたら…!
今はみんなが公共の精神を重んじるので、人の迷惑になる習わしは、少なくとも都市部では消えていくことになるのかもしれませんね。
ただ、小銭を一緒に入れていたというのは、ひょっとしたら昔あったという厄払いの人たちが持って帰ったかもしれないという想像もできます。厄払いについては詳しくこちらの記事で書いています。
3.まとめ
(特に京都など都市部で)廃れつつある習わしとして
①ひいらぎいわし
②四辻に豆を置いてくる
を説明しました。
①の「ひいらぎいわし」は、柊の枝に焼いたいわしの頭を突き刺したものを、玄関先に飾り鬼を撃退するという習わしです。
私が考察した続けにくい理由としては、姿が怖いこと、柊が手に入りにくくなってきたことなどをあげました。
②の「四辻に豆を置いてくる」という習わしは、夜中に四辻に置き、振り返らず帰ってくるというものです。豆の他に、小銭や履物やふんどしまで置いてくるということもあったようです。
もともとは京都にもあり昔はやっていた人もあったのですが、今はほぼ見当たりません。続けにくい理由としては、
・もともとあった「門掃き」の習慣があり、きれいにしたい場所である道が汚れる。
・公共の精神を重んじる今の人にとっては、街中にそんなものを落としたり町を汚くしたりする習わしをする気にならない。
・土の道なら自然と無くなっていくが、アスファルトのしかも都市部では狭い道でも車がたくさん通るところでは散乱するばかりとなってしまう。
ということなどを考えました。
昔は疫病や災厄に抗えず、民衆はただただ厄除けにすがるのみでした。今も変わらず災厄は降りかかりますが、厄除けだけがそれを防ぐ手段でなくなった現代では、面倒だったり今の感覚に合わない習わしは廃れていかざるを得ないのでしょうね。
え、うちはどうするって?
ひいらぎいわしは毎年やってるさかいに、
今年もやるえっ!!でも上の方に飾る!
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