京都における天皇家のお住まいとして、今は京都御所を訪れる方が圧倒的に多いですが、ここは中世からの御所である、ということをご存じでしょうか?
え?こんなに立派な建物なのに違うの?昔からず~っとここじゃないの?
平安の昔は、今は西陣となってる南の方に御所があったんえ。
今から約1000年前、平安時代には、今の上京区の堀川通よりも西に天皇の住まい(内裏)があったのです。
そこで今回は、もう跡形もなくなってしまったけれど、たしかにここにあったと実証されている場所に行き、いにしえの昔の栄華をしのんできました。清少納言や中宮定子がいた場所も訪れましたよ♪
佐々木酒造や山中油店からとても近いところなので、2つのお店の帰り道に立ち寄れるよう、お店からのルートを紹介しています。是非ご覧ください!
今回はちょっと長いヒソヒソ話も入れてます。読んどおくりゃっしゃ!
1.ルート順・内裏跡石碑+看板案内
まず最初に私が作った「平安宮内裏跡の石碑と看板散策図」をご覧ください♪
かなりたくさんあるのですが、これでも一部です。ごくごく一般のお家の前に建ってたりします。看板には「源氏物語ゆかりの地」とあるので、「光る君へ」との関連もよくわかるかと思います。
今回はこれらの跡地のうち山中油店さんから出発して、なんとか写真が撮れそうなところ・ゆっくり見ることができるところを選んで通るコースを考えてみました。
基本としては
佐々木酒造さんと山中油店さんの帰り道に「平安時代」を散策する
というコンセプトで作っています♪
また、この地図だけでは他の地点との関係がわからないので、私のGoogleのマイマップも貼っておきますね。
では山中油店さんから出発です!
A.一本御書所いっぽんごしょどころ跡・B.内裏跡
山中油店の池のそばに見えるのが「一本御書所跡」。
ここは「世間に流布した書籍を各1本書き写して保管したところ」と言われています。今で言うなら国立国会図書館に収めるような本を写していたところでしょうか。
すぐ前には鯉が泳ぎ、左には水車が廻っています。詳しくは山中油店を訪れた時の記事を読んでくださいね。
また、今回は撮ってませんが、向かいの京町家の前にある空きスペースのところに、内裏跡の看板があります。写真は撮れますが今回はありません(撮るの忘れましたm(_ _)m )。
ここから西が内裏の範囲になるので、まずはここで内裏跡の知識を頭に入れてスタートです♪
C.紫宸殿跡
山中油店から西に向かい、浄福寺通を越えて北側にあるのが「紫宸殿跡」です。
紫宸殿は天皇が執務をするところ。厳密にいうともう少し北にあるはずなのですが、細い「ろうじ」の中になるので、下立売通に掲示してあります。
私のおさななじみのお家がドンピシャで紫宸殿のあるところやった。何にも考えんと遊んでたなぁw
看板は個人宅前なので撮影は難しいところだけど、敷地内に入らず撮れるのでギリセーフかなと思います。でも無理はしないでくださいね!
D. 承明門跡
紫宸殿の真南にある門ですが、こちらも正確にはもう少し南なんです。でもそこは住宅密集地なので掲示は下立売通となっています。
こちらの看板と石碑は会社の敷地の前にあるので撮影はまぁ大丈夫かなと思うのですが、草や木に隠れているかもしれません。私も今回は撮ってませんが、声をかけて許可を得たらゆっくり撮れるかと思います。
E.蔵人(所)町屋跡
こちらは蔵人と呼ばれる位の人たちの政務・宿泊の場所となります。「源氏物語」に出てくる頭中将もここの役職ですね。「光る君へ」で出てくる藤原実資や藤原公任がお勤めしている場所もこちらということです。
F.平安宮内裏内郭回廊跡
内裏の周りには回廊が巡っていたと考えられていますが、唯一発掘された回廊の遺跡が保全されている場所となっています。駐車場ができそうな広さの土地が、何も建てられず何の利用もされず遺跡として残っています。
つまり、地面の上には何もありません。発掘をされて何か出てきても公園にするでもなく、これ、この先どうするのかな?と。ちょっともったいない保護の仕方かなと思いますね。
網の柵の前に石碑・看板と石仏がかためて置いてあります。石仏は祠に入ってないのでお地蔵さんではないような、でも卍のマークついてるからどうなのかなと悩むところです。
また、周りに何もないので、ここでは写真撮り放題です(笑)
さてさて、話を戻して。
ここから土屋町通に入り、北へ上がって行きます。
土屋町通とは、お茶室にも使われる聚楽土など良質の土を販売する土屋が多かったことから付いたようです。今は私が知る限り、土屋さんは1軒だけになりました。
G.弘徽殿こきでん跡・H.承香殿じょうきょうでん跡
下立売通の一筋北の新出水通に着き東を向くと、そこは山中油店のゲストハウスがずらっと並んでいます。そのゲストハウスの前にあるのが弘徽殿跡と承香殿跡の看板。
いずれも天皇の後宮です。弘徽殿は特に源氏物語では桐壺をいじめた女御の名となっているので、見覚えのある方も多いでしょう。
この2つはゲストハウスの前に掲示されているので、遠慮せず撮れる数少ない場所となってます♪
<I.清涼殿>
清涼殿とは、天皇の私的な居住場所兼政治の場。のちの時代には変わっていったようですが、平安の紫式部がいた時代にはそうだったようです。
弘徽殿跡の向かいに「清涼殿跡」の看板がありますが、個人宅なので遠慮しておいた方がいいかもしれませんね。私も撮れませんでした。
J.凝華舎跡(梅壺)・飛香殿跡(藤壺)
新出水通のゲストハウス前から土屋町通に戻り、北へ上がって行くと左手にある個人宅に掲示されています。
光源氏の理想の恋人だった人に「藤壺」がいましたよね。ここはその藤壺が住んでいたという設定の元になった場所となっています。
個人宅ではありますが、今回私はみなさんに見ていただこうと思い、お願いをして撮らせていただきました。本当に感謝です。
K.登華殿跡
こちらは中宮定子・清少納言がいた部屋にあたる場所です。一条天皇や藤原伊周など公卿と、文化的なサロンの会話が繰り広げられた場所でした。先日「歴史探偵」で「春はあけぼの」のシーンが再現されていましたが、それがまさに見られた場所なんです。ちょっと感動です!
Google Mapによると、石碑・看板があるらしく探したんですが見つけられませんでした(泣)場所だけ撮ってみました。現在は介護施設になっています。
撮影はNHKでも撮ってたから、個人情報にあたるものを写してなかったら大丈夫かな?と思うのですが…しかし私もダメそうなもの(車・建物の窓あたり)は大分消してますからねぇ。これがダメなら削除します。
「千本出水」の方が「登華殿跡(土屋町出水)」より位置的には西で、東山との距離があるのに、山はより遠い千本出水の方が大きく見えます。不思議ですよね^^
これは、千本通の標高が高いというのもありますが、自転車で東に向かって走るとだんだん山が低くなっていくのです。周りの建物と比べるからでしょうか。大きな通りに出るとまた山が大きくなります。
昔は周りにこんなに建物はないですから、千本出水で見えるような感じだったのかもしれません。
<L.淑景舎跡(桐壺)・M.昭陽舎跡(梨壺)>
あと、写真撮影が難しく、今回コースに入れなかったところとしては、源氏物語の桐壺として有名なL.淑景舎跡(桐壺)や他の後宮の1つM.昭陽舎跡(梨壺)があります。
L.のある場所は工房のようですが、敷地内に入らないと撮れないのでNG、M.は個人宅なのでNGとなります。
今回のコースはここまでです。K.までひととおり見たあと、西の千本通にある市バスの停留所まで行って終了です。
2.アクセス &「平安宮内裏跡の石碑と看板散策図」
お店からのルート図とGoogle Mapに乗せたコース地図をもう一度貼っておきますね!
Google Map「佐々木酒造~山中油店~平安宮内裏跡を巡るコース」
佐々木酒造と山中油店へのアクセスはこちらでどうぞ。
千本出水のバス停からはこれに乗ってください。
*JR京都駅へ 206・6
*JR二条駅へ 206・6・46・201など
*地下鉄丸太町駅へ 10
3.まとめ
今回行ったお店・回った遺跡跡の一覧です。
今回行ったお店
回った遺跡跡
A.一本御書所跡・B.内裏跡
C.紫宸殿跡
D. 承明門跡
E.蔵人所町屋跡
F.平安宮内裏内郭回廊跡
G.弘徽殿跡・H.承香殿跡I.(清涼殿)
J.飛香殿跡 藤壺、凝華舎跡 梅壺
K.登華殿跡L.淑景舎跡(桐壺)・M.昭陽舎跡(梨壺)
*打消し線は今回訪れなかったところ。
千年後の今、「光る君へ」の世界が繰り広げられた場所にその面影はありません。でも、間違いなくここに古の都人は生きていました。なので是非ここを歩いて、紫式部や清少納言、宮中の公卿たちをむくむくと妄想しながら「いとをかし」の世界を感じていただきたいと思っています♪
ほんまもんの京都を知りたい方のお役に立てれば嬉しいです。またこのような記事を書いていきたいと思います!
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